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芸術と月光

少し心が揺れている感覚を覚えながら、高速バスへ乗り込んだ。 どうしても行かなければいけない目的だけが、そこにあった。


窓から映る青い空は少し白っぽい色が掛かっている。


僕が座っている窓際の席の隣には人がおらず、快適に過ごしながら向かっている。


遠くに行きたいと思った。なるべく現実を忘れられる遠い場所に。 


それが僕にとっては東京だった。

二年振りだ。何故今態々東京まで赴くのか。


僕の人生を芸術に捧げる為だ。 一度は逃したそのチャンスが、もう僕の手の届くところまで来ているからだ。 行かなければならない。




最近はずっと惰性で生きてきたが、それでも生きていないよりはずっとマシだ。 




「人生は芸術を模倣する」と、あの人も言っているんだから。









バスを降りる、目の前には人とビル街がそびえ立つ。歩く足は止まらない。

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目的地へ向かう、もうすぐだ。未だに夢か現実なのか区別がつかない。



嗚呼、もうすぐだ。もうすぐなんだ。エイミー、エルマ。



*   *   *


一瞬だ、そんな事誰にでもわかる。物事は始まれば最後、1秒にも満たない時間で直ぐに消えていってしまう。


ただ、間違いなく、僕はこの目で見たんだ。


あの場所には、エイミーとエルマが居たんだ。


三年の流れを越えて、また二人は出会ったんだ。


それはまるで深い海の底にいるような感覚だった。

柔らかくて、包まれるような空気、それは月明かりにも似た物だったような。



東京のビル街に上がる花火、花緑青、雨樋を伝う五月雨、東伏見、富士見通り、雨の街、雨上がり、ストックホルム、ガムラスタン、ギター、月明かり、音楽を辞めた理由、全てが目の前に広がっていた。



芸術の神様が宿っていた。この目で見ることが出来た。


この記憶は、時間が過ぎれば少しづつ忘れてしまうだろう、泡になって消えてしまうだろう。忘れたくない、忘れてたまるものか。


人生でこんなにも美しいものは他にはない、僕にとっては。


あの日からずっと僕は、二人を追いかけている。届くかも解らないほどに遠い距離だ。 


全ては僕の生きる意味だ。言葉には出来ない感情が、涙が、僕の人生を前に進めていく。 


生きていく事に自信が無かった僕を、芸術は優しく肯定して、美しい世界に連れて行ってくれるんだ。


帰路に吹く風が、僕の髪の毛を揺らしている。

吐く息は真上に消える。


僕は今、光を見ている。

夜しか見えない光。


眩しく、淡い光とはとても思えない







                    月光を
                 


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