時空に遺す

最近noteをはじめたり、たまにキャスやってみたり。
私は私という存在を残したいようで残したくない人間だったので、随分変わったような気がする。

頭ん中はずっと中2だから変わってないとも言えるけど。笑

今でも、恥ずかしいな。ってこともあるし、
私自身の全てを好きって思える訳じゃない。

消えてなくなりたい。
誰にも気づかれずにそっと死にたいって思う事もある。

めっちゃくちゃある。

でも、歴史に残るんだよね。
どんな人も存在を消すことなんて不可能なんだよ。

有名な武将は男色家だったと恋文が残されていたり
脱糞してる絵を自ら描かせて残ったり。

現代だって、友達のインスタの写真の中に残ったり。
学生時代の文集に残ったり、卒業アルバムの写真に残ったり。
(よく犯罪すると引用されちゃうやつね)

戸籍にも残ってしまうし。

もう、抗えないよね。

生きていることも、いつか死ぬことも抗えない。

そう思ったら

私は何を遺して死にたいんだろう?と考えるようになった。


脱糞はパス!!笑
昔の文集は、恥ずかしすぎる。。
犯罪しないようにして醸されたくない。
(その思いで犯罪に手を染めないでいられそう。)


人生に呪い苦しみ恨み辛みがないとは言えないけれど

どんな風に昇華して私という存在を遺して死にたいのかな。

それをどんな媒体で遺す?

音声なのか、文章なのか、

それは自分がしっくりくるものに乗せたいな。

そんな気持ちでキャスもやりはじめました。

noteもキャスも嫌いじゃないなと思ってます。

遺すものは、自分らしく在りたい。

今の瞬間に、何処かの誰かに繋がる自分と
いつかいつか誰かに繋がる自分を想像する。

死んだ後も生き続けるものを遺す。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?