勇気を視る

昨日大好きな人のnote読んだん。
毎日読んでるけど。笑

なんかね、何読んでも素直なん。
(稀にイキってるのもあるけど、それはそれでそのときの素直な気持ちだと思ってる)

分かりやすいし、真剣だし
生きてる
文章が、生きてる感がね
堪らんのよ。

おさーんとの依頼の話とかね
もう読んでると泣いちゃうの。

なんやろな、きっと勇気だと思う。

恐いし分からんとかいいつつも
勇気がある。

真面目な勇気を感じる

私にないんだ。それ

きっと真面目は真面目なん。

でも勇気がない。

だから、勇気が伝染しないかな?なんて他力本願な妄想しちゃう。

勇気が共鳴しないかなって。

誰かに
甘えきる勇気とか
当たり散らす勇気とか
言いたいことをバァーって言う勇気とか
そういうの
考えるだけで恐い

仕事だったら、ガラスの仮面つけてできるの。
もはや、偽ってやれるの。

最近職場のおっさんに
言いたいこと言える人はいいよね。俺はできない、だからストレスで入院したんだって話されて。
はぁ?って思ったんだ。笑

もちろんすんなり言いたいこと言ってる人もいるだろけどさ。

私は言わなきゃって、言いたくないけど言わなきゃって思うとガラスの仮面を被ってでも言う。

仕事だったらそんな風に勇気を振り絞る。

どんなに陰口叩かれてもいい。
言うときは覚悟して言うんだって。

昨日もそんな覚悟で画鋲刺してきますってツイートして自分を奮い立たせたんだ。笑


家に帰って仮面を外すと、勇気なんて何一つ残らんし。

もう勇気なんて振り絞りたくないって思いながら、サボンで体洗う。

なんていうか
勇気を振り絞ることで、自分が満足したことはあまりないのかもしれない。

勇気を振り絞ることは、何かの義務が生じているときなんだよ。

誰かのために言わなきゃみたいな義務感

自分がしたいことに対して勇気を振り絞るって
できんのよね。

だからね
note読みながら

勇気か、この人は本能的に勇気を出せて(もちろん、おさーんが導いたってのもある)
それからずっと依頼して勇気を出して行動したんだな。

偉いな、すごいな、可愛いな、素敵だな

だから note読みたいんだなって思ったんだ。 

勇気のおこぼれ貰おうとしてる自分
なんなんでしょうね。笑

ライブにいって数日気分のいい客みたい。

人を羨ましいと思うときは、その人のミエナイ苦労まで背負ってでも羨ましいと思いなさいって教えられたことがあって

羨ましいと思うと、自分の中でその言葉がアナウンスされます。 

羨ましいじゃない、尊敬してるんだ。

きっとあのnoteは
いろんな人に勇気や希望を視せてくれる。

優しくいたいんだって勇気

自分に優しくいたいんだって勇気

いつも心の中がスタンディングオベーションになる。

ライブの時に
あー生きていてよかったって思ったり
今、同じ時代に生きていてよかったって思ったりする感覚を
この noteに感じる。

それは、とっても恐いことだな。

人間の才能が恐いって思う。

(伝わらないだろけど、めっちゃ褒めている)



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