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近況について.2023.9.30

最近は特に、今までより一層と自分自身に向き合う必要がある出来事や流れに導かれるように過ごしている。「自分は(本当は?本心は?)なにがやりたいのか?」という素朴な問いに対してさえ、ぼくは未だ言葉にすることさえ出来ない。それは体感覚としては確かに在るものの、現時点で言葉にしてしまえば、どれもが嘘のように自分自身に聞こえてしまう。只、『岡潔のつづきがやりたい』という思いはやはり昔から全く変わっていないとも感じる。それが具体的に何を意味するのか、そのために証明するべき命題は何なのか、その命題を生み出す母なる大地としての自分の中に眠る源泉は何なのか。どれもまた判然としない。

確かに「在る」とわかる。それが何なのかは判然とせず、そして高々数年懸けた程度では答えは出そうにない、そういう大きな、大きな何かに自分が向かおうとしていることだけが、感知されている状態。それが今のぼくを表す、素朴な現状。とても危うい。社会の渦に呑まれ潰れるか、それとも生き延びて何事かを成すか。年齢的に見ても、重要な分岐点に来ているのだと思う。ぼくは、生き延びたい。潰れず、腐らず、しっかりと自分自身を生きたい。オトナを生きる先輩方に、たくさん励まされ、温かく見守ってもらいながら、背中を押して頂いている。京都のオトナは皆さん、力強い。

ところで、数学の話をすると時々「もったいない」と感じる人の声を聴くことがあって、この言葉について最近ふと考えていた。初めて言われるようになった頃は、ぜんぜん言葉の意味がわからなかった。ぼくとしては「それは貴方の理解が足りないからだ」と内心では反発していた。数学のことも、ぼくのことも、ろくに知らないで勝手な事を言うなよ、とちょっと怒ってさえ居たかもしれない。只、最近また「もったいない」と言ってくださる人が現れて、そのときにぼくは何故かふと、「ありがたいなぁ」としみじみ感じた。そういう心境の変化が起こっていた。

ぼくは数学の話をするとき、無意識のうちにどこかで(実力や言葉を)セーブしたり、心を閉ざしているようなところがある。相手にどうにか少しでも理解して欲しい、なにか伝わって欲しいと思うあまりに、どうしても専門的な話を避けたり、本質を欠いた比喩が多くなったりしてきた場面が多い。それが逆に話をふわふわと宙に浮いた状態にしてしまい、聴いているほうもどこか話が浮ついてぼくの言葉の真意や思いを汲み取ることができない状況が長く続いてきた。それが「もったいない」と感じさせる要因であると分析した。

この話はぼくにとって重要なので、もう少し続けさせてほしい。

なぜそうなったのか、その経緯には心当たりがある部分に氣がついた。遡るは高校時代。今までのnoteにも書いたように、ぼくには師匠と呼んでいる人が居る。高校時代に数学を師事した先生で、この人が当時のぼくにとってはこの地球上において唯一絶対的な理解者であった。当時から既にぼくは同級生から変人など色々な呼び名が付いていたが、そんな事は氣にならなかった。師匠という理解者が側に居たからである。思う存分に、自分の数学をぶつけることができる唯一の相手だった。自分が取り組んでいる問題を共に考え、証明を吟味する。大抵はぼくが答案を持っていき、師匠がそれを吟味する形式。それはそれは楽しかった。こうやってすこし思い出すだけで、本当に胸の内が温かくなってくる。涙が出てきそうになるほどだ。それだけぼくにとって師匠という存在がありがたかった。

だが、高校を卒業する時がやってきて、師匠からも離れることになった。師匠の指導のもと、広島大学理学部数学科のAO入試に合格することができ、地元を離れて広島へ向かった。

確かに大学の数学科で勉強する数学は高度なもので、広島大学の教授陣の実力も非常に高く感じられた。何より、広島大学は師匠が「ここはいいぞ」と太鼓判を強く押していた大学であり、ここで勉強できるなんて羨ましいと何度も何度も言っていた。確かに勉強するにはとても適した環境で、専門書も読み漁り、難しい箇所も教授に聞くことができ、そして学び合う仲間ともゼミを活発にやっていた。しかし、ぼくは師匠という理解者を失ってしまい、また大学の中には師匠のような人を見出すことができなかった。かと言って、大学の外(広義には数学を専門的に学んでいない一般の方々のこと)に理解を求めても、これは非常に厳しい。数学の中にも外にも、理解者が居ない。そういう状況が長く続いた。ずっと、ずっと苦しかった。

それでも今まで、諦めず粘り強く、自分なりに色々と取り組んできた。大学に進学してからも、ぼくは「変人」と認識されることが次第に多くなっていった。数学の中の人からも、外の人からも。変な人、変わった人、ヤバい人、変態、社会のバグ、まあ色々な認識があった。ぼくも次第に理解者を求めることに疲れ、諦めも混じった絶望感に襲われ、じわじわと心を閉ざしていっていたのかもしれない。「変人」と言ってラベルを付けて片付けてしまえば、ある一定の距離を線引きして、踏み込まなくてもいい余地を作ることができる。こちらも本心や本音を晒す必要がない。数学の話もふわふわと浮かせたほうが、より変人感が深まる。それに少し酔ってさえ居たのかもしれない。甘んじて、妥協していたのかもしれない。「まあ、どうせ理解されないし、する氣もないんでしょ?」とさえきっと思っていた。

しかし、そんなぼくの話を「もったいない」と感じて、それを言葉にして届けてくれる人たちが現れてきた。これは大きな転機だ。ぼくは心を改めなければいけない。この人たちが届けてくれた思いを、しっかりと受け取って、本心で、本音で語り始めること。理解を得ようとする無駄な努力をもういい加減に終えて、自分自身の思いを現していくこと。最初に書いたように、それは直ぐには難しいし、何年も何十年も懸けていくことではあるけれども、しっかりと着実に積み重ねていくこと。

命題を立て、それを証明する。問題の造形と解決。それが数学者の仕事である。ぼくは哲学も好きだ。数学を哲学的に考察するのも好き。そういう話はいくらでも宙に浮かすことができる。だからこそ、そろそろ辞めにして、また地上へ戻ってくる必要がある。哲学者になって、数学から逃げるのか?(決して哲学者を悪く言っているわけではなく、ぼくは数学者だからこう書いている。)そうではないだろう、ぼくがしたいのは。断じて違う。リーマンや岡潔のような数学者になりたいのだろう。生命を燃やすことによって創造を行うような数学がやりたいと思っていたはずだ。理想を心に描き、それを立証するために数学をするような、そんな美しい数学を奏でたいと、そう願っていたはずだ。ぼくは忘れてなんか居ない。答えはもう既に、自分の中に在るはずだ。

変人?それがどうした。言わせておけ。そんなことは、どうだっていい。話が難しい?そう、数学は難しい。そういうものだから。涙なくしては学べない、まことに厳しい道。それでも懲りずにやろうと足を止めないのだから、数学者という存在が尊いのです。その値打ちがわかるだけでも、数学を学ぶ意義は充分にあるとは思いませんか。ぼくはそう思います。

真に独創的な表現は、みな最上に美しく、理屈を超えて人の心に響くものである。そういう数学を、ぼくもやりたい。理解しやすいように他者へ表現を寄せるのではなく、もっと自分自身の奥底を呼び覚ますように、表現を清く素朴に洗練させていく。そういう真の数学者こそ、この時代が必要とする人物で在るとぼくは信ずる。数学者もまた、詩人であり、芸術家で在る。

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