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『おもしろい数学』の復興

今日は高瀬正仁さんのクロネッカー論の勉強を進めていた。最近、この方面で詳しい本が出た為、それを読む前提として日本評論社から出ているテキスト「数論のはじまり」の第5章(クロネッカーの数論の解明)と第6章(アーベル方程式の構成問題への道)を読んでいた。岡潔の数学を深掘るに当たり、リーマンの重要性は言うまでもないが、実はクロネッカーの存在も非常に重要であることを高瀬正仁さんに教えてもらった(直接お会いしたことはないので書作を通した独学ではあるが)。

自分が今やっている数学の探求はおもしろい。おもしろいと感じるものを選んで勉強しているので当然と言えば当然なのだが、ここに至るまでには、数学を拒絶するまでに至ったこともまた経験している。数学には、おもしろい数学とつまらない数学の両方がある。「おもしろい」とか「つまらない」と云うのは、個人の主観的な感情であるが、しかしここに客観的な線引きが確かにあると高瀬さんは著書で言っていて、ぼくも全くの同感である。われわれのこの確信へ明確な根拠を与えようとすれば、それだけで既に大きな研究テーマが与えられたことになる。興味深い問題であるとぼくは思う。

ところで、この国の数学教育は衰退している。ぼくが数学云々・・・といくら言っても、なにも伝わない、なにも響かない。なにか根本的なところで、数学教育がおかしな方向へ狂っているとしか思えない。まともな数学教育がこの国で行われているのだろうか?そもそも「数学教育の自然な在り方とはなんなのか」が充分に検討されていないのだろうし、ほとんど誰もわかっていない、考えてもいないのだろうと思う。初等幾何学が数学教育の中から削除されようとしたとき、小平邦彦が真っ先に警告を鳴らして、その声は「幾何への誘い」と云う文庫本となって残っている。そして今、初等幾何学は絶滅寸前なのではないかと思う。この本をちゃんと手に取って読んだことがある人が、どれだけ居るだろうか。初等幾何学の重要性を、どれだけの人が認識して居るだろうか。

多くの人は数学という名前にミスリードされて、数学と言えばただ漠然と「数字に関するもの」と思うまでになっており、少なくとも数学教育の中で初等幾何学をちゃんと扱えば、その体系を積み上げていく印象は少なくとも人々の中に残るだろうし、間違っても「数字に関するもの」というぼんやりとした印象にはならないはずである。数学教育は失敗し、衰退してしまった。そんなことは今さら言うまでもなく明らかである。前提がおかしいのだから、その上でいくら技術的な工夫をしても、カリキュラムをどうこう言っても、もう全然ダメである。根本的に考え直さなければいけないレベルに達している。

数学教育の中には『つまらない数学』しか残っていない。これが問題である。今日の数学は『つまらない数学』に覆われている。この国では高木貞治と岡潔のただ二人のみがはっきりと数学の在り方について問題を提起したがほとんど反応がなく、ただそのままに今日の数学まで根本的な批判もなく来てしまい、おもしろい数学の消失という異常事態を引き起こしてしまった。そして当然、数学教育は今日の数学を基準として組み立てられるのであるから、それが『つまらない数学』に侵食されてしまうのは致し方ないという話になる。だから、この問題はかなり根が深い問題なのである。闇を感じる。

ぼくは数学を拒絶した時に、もちろんこの問題にも気がつき、手を引こうとした。数学の教育観と研究観の両方に跨がる、大きな問題であり、とても個人が太刀打ちできる問題ではない。それに、今日の数学と真っ向から全面衝突することになるので、高木貞治と岡潔のただ二人の意思を継いで、この身ひとつで巨大な相手(今日の数学)とサシで戦うなど、刀一本で戦艦とやりあえと言われるようなもので、はっきり言って無茶である。しかし、問題ははっきりとしているし、既に衰退している数学教育を受ける子供たちの瑞々しい感受性やキラキラとした好奇心を奪っていくような状況に目を背けることはもうどうしてもできず、やはり挑むしかないとぼくは意思を継ぐことにした。

ぼくは以前、数学専門教室をつくると宣言をした。現代の数学教育と数学研究を全面的に敵に回すかもしれない。相手は巨大な戦艦だ。こちらにあるのは刀一本と、絶対に負けるものかという侍魂、そして日本のことを大切に思う氣持ちである。なぜ、ぼくは数学に戻ってきたのか。やはり、日本のことが大切だからである。高木貞治と岡潔がこの国に残した意思を忘れてはならない。この国から数学を失うのは惜しい。日本で数学が廃れれば、世界でも数学が廃れるのは時間の問題である。そして、子供たちにちゃんとした数学を伝えないでどうする。それでいいのか。おもしろい数学を受け継がなくてよいのか。つまらない数学にしか触れる機会がなく、「数学ってこんなものか」とぼんやり漠然と多くの人が思っているこの現状が、ぼくは悔しい。ぼくは悔しい、とても。だから戦うんだ。

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