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VOL.14寄稿者&作品紹介16 武田徹さん

「ウィッチンケア」には第2号から一貫して〈言葉(詩)〉を主題にした作品をご寄稿くださっている武田徹さん。第2号…いまや、稀に、中古マーケットに「そんな値段で売らんといて!」価格で登場するようなことになっていますが、思い返すに、寄稿者6名体制での創刊号を見本誌に、あの時点で武田さんへお声掛けした自分(←発行人)は怖いもの知らずというか、不遜というか、でした。。。でも、すぐに「打席が回ってくれば立ちます」と快いお返事をくださり、今へと至るのです。それで、たとえば唐木順三、鶴見俊輔、吉本隆明、松本隆、宇多田ヒカル、といった硬軟入り混った人物の〈言葉(詩)〉について考察を重ねてきた武田さんが、今回取り上げたのは、立花隆。世間一般的には「硬」の人なのでしょうか。ペンの力でときの総理大臣を退陣させた、みたいな(最近、某ネット番組で宮台真司がそれとはまったく違った立花隆観を述べていて「そういう見解もあるのか」と興味深かったですが、それはともかく)。私(←発行人)は、いつだったかどこか(たぶん雑誌)で立花隆が「好きな音楽家はフランク・ザッパ」と述べていたのを読んだ記憶があって、「硬」の人だけとは言えなそうな懐の深さだな、とは思っていたのですが…しかし、史実を丁寧に検証する武田徹さんを紹介する文章で、ソース不明な持論を書き連ねる自分、やはり怖いもの知らず、すいません。。。


武田さんの寄稿作「立花隆の詩」に転載された、立花作の現代詩「うたげ Adagio Legato」。なんだかエロティックな雰囲気が漂っているようにも感じられまして、たしかに、あのもじゃもじゃ頭のジャーナリストとはイメージ的に重なり合わない印象です。作中には“新刊予定の評伝を書くために彼の人生を丁寧に辿ってみた筆者は、それが思い違いだったかもしれないと改めて思い始めている”との一文があり、ということは遠くない未来に、武田さんによる文人(詩人)・立花隆像が世に提示される…とっても楽しみです!

今作では立花が「武満徹・音楽創造への旅」を上梓するまでに至った、艶っぽい逸話も語られています。また立花と武満徹/立原道造の関係性を、時系列や残された言葉をもとに手繰り寄せ、推論していく展開もスリリング。みなさま、武田徹さんの新刊の予告編として、ぜひ小誌を手に取っていただければ嬉しく存じます。


ウィッチンケア第14号(Witchenkare VOL.14)発行日:2024年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりー/発行人の屋号)
A5 判:248ページ/定価(本体1,800円+税)
ISBN::978-4-86538-161-0  C0095 ¥1800E 

 だが、武満の仕事に触れる経験が詩を思い出すための助走となったのだと思う。音楽と言葉を連続させて語ることを好む武満は、「言葉というものは、ものを正確に名指すのが本来の機能であるのかもしれないけれど、言葉はそれだけではなくて、 なにかある運動を起こすもの、つまりその言葉に接することによって人の内部に波紋というか、あるいは振動を起こすものでなければいけないと思う」と述べていた。
 言葉の機能は「ものを正確に名指す」ジャーナリズム的用法に留まらない。そんな武満から聴いた話が、恋人の最期を看取った立花の記憶の底から唐突に蘇ってきたのではないか。

  ~ウィッチンケア第14号掲載〈立花隆の詩〉より引用~

武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈終わりから始まりまで。〉(第2号)/〈お茶ノ水と前衛〉(第3号)/〈木蓮の花〉(第4号)/〈カメラ人類の誕生〉(第5号)/〈『末期の眼』から生まれる言葉〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》〉/〈「寄る辺なさ」の確認〉(第7号)/〈宇多田ヒカルと日本語リズム〉(第8号)/〈『共同幻想論』がdisったもの〉(第9号)〈詩の言葉──「在ること」〉(第10号)/〈日本語の曖昧さと「無私」の言葉〉(第11号)/〈レベッカに魅せられて〉(第12号)/〈鶴見俊輔の詩 ~リカルシトランスに抗うもの~〉(第13号)


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