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VOL.12寄稿者&作品紹介28 宮崎智之さん

宮崎智之さんが晶文社のWebにて一昨年から連載していた「モヤモヤの日々」は、現在書籍化のための加筆修正が大詰め。宮崎さんのSNSによると「驚きのタイトル案が浮上」したりしつつ、「夏ごろには発売できる予定」とのこと。どんな本になって世に登場するのか、とっても楽しみです。そんな多忙のなか宮崎さんが小誌に書き下ろしてくださった作品は、前号への寄稿作「五月の二週目の日曜日の午後」とはがらりと作風の変わった密室小説。主人公の「僕」はライターというかエッセイストというか作家というか、とにかく「物書き」(編集者の中山からは「先生」と呼ばれていたりも)。作中からその人となりを探ってみると「僕は六年前から酒をやめている。アルコール依存症になり入院したからだ」「それまでは文化人や経営者のインタビュー記事を専門にするライターだったが、エッセイの依頼がくるようになり、これまで合計で四冊の本を刊行した」「知り合いが出しているインディー文芸誌に、掌編小説をいくつか書いていた」...筆者のことをご存じのかたは“あの人”のことを思い浮かべそう、っていうか、思い浮かべさせたうえで物語を進めようとしているわけで、世の中には「映画についての映画を撮る映画監督」とか「歌うことについて歌う歌手」とかもいますが、この一篇は「物を書くことについて書く物書き」の話で、筆者はその「素材」として、“あの人”を差し出しているのだろうと理解しました。

「中山なる編集者」の存在が妖しいです。妖しいというか、そもそも物語の舞台設定自体がウソかマコトかわからない感じ。どう読むかは読者に任されていますが、少なくとも私は、この密室(ホテルの一室)に「中山なる編集者」がいるのかどうかからして疑っています。中山、じつは、たとえば「僕」の蝸牛あたりにいたりして。いや、作中の中山はマスクをしていたり、アルコール液で手を消毒したりもするし、身なりだって「紺のジャケットに黒光りするローファーを履いた中山」と細かく描かれてはいるんですけれども。

「オーバー・ビューティフル」というタイトルも謎めいています。ヒントになりそうなのが「ひつしち」「らろれら」という小道具。このへんのネーミングは宮崎さんの詩人的素養や独特な語感への繊細さから生み出されているようにも思えて...そういえば宮崎さんのコラムに「ラーミアンでバーメン」(の語感)をおもしろがる、って話があったな。「ひつしち」と「らろれら」...それがなんなのかは、ここでは伏せます。どうぞ小誌を手にして宮崎さんの最新作を読み解いてみてください!

「打ち合わせでもお話しましたが、私は先生の文章の大ファンなんです」。中山は大袈裟な口調で話す。中山と話していると、どうも上手く乗せられてしまうというか、本当に「先生」のような気がしてきて、この身の丈に合わない依頼を受けてしまったのであった。「細かい生活の描写が鮮やかで、すでにそこにあったのに、意識にのぼらなかった事柄たちが立ち上がってくるような感じがします」
 この男はいくつ褒め言葉を用意しているのだろうかと、僕は感心した。打ち合わせでも散々、おべっかを使われたが、今の褒め言葉は初めてである。なんだか余計に居た堪れなくなってきてしまった。缶詰するなんて、とんだ勘違い野郎のすることだと思えてきた。それでも中山は力説をやめなかった。「先生のその言葉で、随筆ではなくフィクションを書いてもらいたいんです。過去の作品はすべて素晴らしかったです。まるで情景がつぶさに浮かんでくるようでした。さすがはエッセイの名手と言われる先生の文章だと感激しました」

〜ウィッチンケア第12号〈オーバー・ビューティフル〉(P160〜P167)より引用〜

宮崎智之さん小誌バックナンバー掲載作品:〈極私的「35歳問題」〉(第9号 & 《note版ウィッチンケア文庫》)/〈CONTINUE〉(第10号)/〈五月の二週目の日曜日の午後〉(第11号)

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