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弱い人を助けるな

メッセージは基本的に、ある程度結果を出した人の意見しか世に出回ることはありません。
そのため、私たちが普段目にする思想や偏見は成功者目線のかなり偏ったものになっています。

今日示している成功者とは、地位的に有意な立場を手にした者、つまりリーダー的立ち位置を手にした人のことを指します。

不思議なようで当たり前な話、正解を出すための行動パターンというのは、その人がどの身分に立っているかで大きく変わってしまうということがおおにしてありえます。

つまり、ある行動はリーダーとして正解でも、そうでない人にとっては不正解であることがありえるということです。

しかし、世の中には、その違いに気付きづらいモノも存在します。

僕はその一つのモデルを見つけました。それと同時に「本当に強い信念と行動力を持った人がコレをやってしまうと、なかなかの高い確立で地獄を見てしまうことになる」と思って記事にすることにしました。

ちなみにこの話の対象に入るのは組織に属している人全員に共通します。

長くなりそうですが、なるべく読みやすい文章にすることを心がけます。

弱い人を助ける人は大成するは間違い

世間が正解だと勘違いしている一つの誤解、それは「弱い人を助ける人は大成する」ということです。

弱い人を助けることを推奨している側の言い分は大体こんな感じです。

「弱い人を助けているといずれ自分に何かいいことが返ってくる。」

「大衆を大事にすると、自分が困ったとき彼らは恩を返そうとする。」

しかし、この事柄はリーダーの立場だからこそあり得るのであって、そうでない人が同じことを行ったとしても決していい結果は得られません。

何十人、何百人もの弱いものを助け、感謝されても彼らは恩を返す手立てがないので、蓄積された恩恵が自分に帰ってくることは、ほとんどないのです。

それどころか助けたことが仇になり、結果自分を苦しめることになる可能性もおおにしてありえます。

例えば、どうしようもない上司がパワハラや効率の悪い指示を出すことで、自分の部下を心身ともに苦しめていたとします。

そこで、その部署の中間に位置する一人のアホが立ち上がり、パワハラに苦言を呈します。さらに効率の悪い仕組みを改善することで、部下のモチベーションが高まり業績も上向、そうなるとどうなるでしょう。

それらはこのアホの手柄になるか、いやなりません。

それらはトップの手柄であり、その過程でトップのプライドを傷つけたアホはその組織からはみ出しものになるという過酷な未来が待っています。

上層部にいく情報というのは発言権を持った者からの発信、つまりそのアホが上司に歯向かった事実のみであり、助けた部下は発言権を持たないので、日の当たらないところから「ありがとう」「君は正しい」などと言ったことが囁かれて終わりです。

ちなみに、ここでいう人助けとは、重たい荷物を持つとか、仕事を代わりに引き受けるとか、そんな自己満足で終わるようなことをいっているわけではなく、もっと根本的、本質的な問題を定義し、問題を根元から改革するレベルの話だということを理解してください。

僕は以前こんな本を読みました。

ギブ&テイク、世の中には「ギバー」「テイカー」「マッチャー」がいる。

ギバーとは与える人、テイカーは奪う人、マッチャーはその両方。(与えられたら与える、奪われたら奪う)

この中でボロ勝ちする人間というのはギバーであり、それと同時にボロ負けするのもギバーなのだといいます。

つまり、ギバーにも2種類いて、ボロ勝ちする方はギブする上で自分のメリットを計算に入れ人助けをするタイプ。

一方でぼろ負けするギバーとは、ただ純粋に断れないタイプ。

コレを読んだ時、僕はそのボロ勝ちするためのギバーであるために、一体どのような人を助けるべきなのかを考えました。

その結果見えたのはとんでもなく面白くない答えでした。

 

ギブを返す人、つまりギブを返せる人、発言権がありそれなりに決定権のある人。

それって、どう考えても自分と同等、またはそれより上の者以外あり得ないじゃないか。

この答えは「弱い人を助けろ」という主張を真正面から否定しています。

つまり、この世界は「弱いモノを助けて自分が犠牲になるか、助けずに自分がのし上がるか」を選択しなければならないとんでもなく下らない仕組みで成り立っているのです。

極論でしょうか?

おそらく、ここでの意見が食い違うとするなら、それはどの程度の人助けを言っているのかの認識の違いだと思います。

「常に周りに目を配って様子がおかしな人には声をかけたり、山のようなタスクを抱えている人にはそっと手を差し伸べる。」

眠たすぎるだろ、
そんなことはやって当たり前です。

僕がいうのは先言ったように改革に匹敵する人助けです。

そして部下が極限まで苦しむようなマネジメントをする上司はもとよりポンコツであり、それを変えることは中間の人間にはできません。

弱い人を助け、信頼を集め、社会から喝采を浴びるのは組織のトップだけなのです。

人助けがTwitterで拡散されて社会的地位を確立?
そんなことは起きない!

にもかかわらずリーダー目線で書かれた文章を信じて他人をかばい銃に打たれるような被害者になるようなことは本当に良くないと思います。

高いポテンシャルと行動力を持つ人であるほど、実際の行動に見合った逆カウンターを食らう構図。
僕は本当にそんな被害者を見たくありません。

何度も言いますが、やっても変わらないような人助けで自分が気持ち良くなりたい人は勝手にやってください。

「見返りなんて求めない」と言えるほどの小さなギブで満足しているのならそれでもいいです。

問題は、本質を見抜き、十分な見返りがなければ自分が終わってしまうかもしれない、それでも意を決して行動する人です。

そんな人がいるなら僕はドロップキックを入れてでもソレを止めてこう叫びます
「ちょっと待て」

「ソレは人助けではなくて自殺だ」

「いつか助けた帳尻があってくる。」世界はそんな綺麗にはできていない。

助けた当人もろともヤられてしまうのがオチである。

それじゃあ一体どうすればいいのか、僕はギブが十分に返ってくポストにつくしかないと思っています。

つまり、「自分がリーダーになる」または「フリーで十分な力を付ける」、本当に根本からの人助けができるのはそれからです。

この順番を間違えてはもともこもなくなります。


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