「ネガティヴィテート」第2話

「そいつ、処分しちゃおう」
突然殺意を向けてきた女に、ハルは尻込みする。
パンパン、とハヤトが手を叩いた。
「まぁまぁ。ごめんね、この子、ちょっと中二入ってて。過激な言動がカッコいいって思っちゃってるんだよね。ピアスも全部シールだしね」
「は? 消し炭になりたいか」
「ホラね? でも、仕事には一番真面目だから、勘弁してあげて」
女は舌打ちして、少し照れたように黙り込む。
「ほら、自己紹介」
「レン。アナン・レン」
「サクラギ・ハル。よろしくレンさん」
「気安く名前で呼ぶな。カエルのハラワタに転移させるぞ」
「はいはい。自分が名前から名乗ったんでしょ。ごめんねハルくん。ちなみに、恫喝の言葉が意味不明になるのは照れてるときだから。察してあげて」
「何を根拠に。金星の輪で八つ裂きにしてやろうか」
「金星に輪っかは……まぁいいや。本題に戻ろう。君がネガの能力に目覚めたかどうかって話だ」
「いや、ほんとに何も覚えてなくて……」
「困ったね。覚醒時には精神に大きな負荷がかかるから、意識が飛ぶのも無理はないだろうけど……しかし、意識を失ったまま戦ったってのは聞いたことがないな」
「アブねぇニオイがするわ。沈めちまおう」
「まぁ、状況的に君が覚醒して敵を退けたことはほぼ間違いない。言いにくいんだけど、ネガに目覚めた人間をそのまま社会に復帰させることはできないんだ」
「それは、どうせ帰るとこもないし」
「オイ無視すんな」
「どうだろう、ぼくらに手を貸してはくれないか? あるいは君が望むなら、専門のカウンセリング機関でネガ因子を鎮める処置も可能だけど……あまりいい成果は聞かないが」
「やりますよ。一刻も早く、ユナと、みんなを助けないと」
「ありがとう。ぼくたちも力を尽くそう」
「ちょっとでもおかしなことしたら、トンボの尾で串刺しにしてやるからな」

と、外からペタペタと足音が聞こえた。ドアノブがいやにゆっくり回り、入ってきたのは3歳くらいの男女だった。瓜二つの顔をしている。
「たいちょう、付近でネガの反応があったって、精霊が」
「男の人が被害に遭っているって、精霊が」
「早速だねぇ。ハルも行くかい? 昨日の今日だ、まだ休んでいてもいいが」
「いや、行くのはいいけど、この子たちは?」
「あぁ。アオとミドリ。双子ちゃんだよ」
「そうじゃなくて、この子たちも隊員なのか?」
「うん、ウチのエースだよ」
こんな小さな子どもを……やっていることは、本当にリベラと変わらないじゃないか。

「ともかく行こうか。座標は……そこか。〈論理空間(シュピールラウム)〉――『遠隔地を任意に繋ぐ門』を」
ハヤトの言葉とともに、目の前には空間の裂け目のようなものが出現する。
「なんだこりゃ」
「ハヤトのネガ能力、シュピールラウムだよ」
「言葉が現実になるスゴい力だよ」
アオとミドリが競るように教えてくれる。
「いや、もうそれで全部解決じゃん」
「そんな便利なもんじゃないんだ。論理的にありうるモノのうち、現実には存在しないモノを作り出せるだけで……ややこしい話は後だ、ともかく行こう」

遷移した先は、コンクリートの断片が散らばる廃墟跡。市街地を離れると、こういう過去の残骸が無数にあった。
「びっくりした。ずいぶん便利そうな能力だねぇ」
待ち受けていたのは、ハルと同年代の女だった。
「ツインテのゴスロリ……妙に廃墟が似合うね」
ハヤトがおどけたように言う。
「やだ、いきなり口説いてくるの? 見かけによらず、肉食」
「そうだね、君の後ろで倒れているのが彼氏だったら、思わず妬けちゃうな」
「安心して。これはただの素材」
「よかった。それじゃあ遠慮なく狩らせてもらおう。名前を教えてくれるかい」
「ヴェル。あなたの名前は知らなくていいわ。情が移ると困るからね」
戦闘態勢に入ろうとするハヤトをハルが遮る。
「オイ待て。ユナをどこにやった。光の家のみんなは」
「何、そんなイキりたって。シラけるなぁ。誘拐した人のこと? 知らないよ、使えるか試すのは私じゃないし」
軽蔑しきった目を向けてくる。
「無理矢理にでも聞き出してやる……」
「ちょっとちょっと。ハル、まだネガ使えないんじゃないの」
言われてみれば、その通りだった。自分は戦う術を持たない一般人だ。
「とりあえず、アオとミドリと一緒に下がってて。ぼくがどうにかするよ」
と、ハヤトを制してレンが一歩踏み出した。
「いや、私が行く。新入りに格の違いってヤツを教えてやらねぇとな」
その腕には、重厚な鎖が巻き付いている。先端に光る鋭利な鎌。
「えぇ。そんな鎖で、何するつもり? そういう趣味はないんだけどなぁ」
「テメェみてぇなビッチは、縛り付けて従順にしてやらねぇとなぁ」
レンは鎌を勢いよく投げつけた。細腕からは想像できないほどのスピード。
「ほいっ」
ヴェルの目の前に現れた巨大な矢印が、鎖にぶつかり狙いを逸らした。
「そんなんで私を捕まえられると思った?」
ヴェルを取り囲む無数の矢印を見て、ハヤトが「レンとは相性悪そうだねぇ」と呟く。
「わかりやすい能力だこと」
レンが再度鎌を投げつける。今度はヴェルからかなり外れた方向に。対象を通り過ぎたところで鎖は急カーブを描き、旋回しながらヴェルを包囲する。
「まぁそう来るよねぇ」
矢印が満遍なくヴェルの周囲を固めている。
「言ってろ、オラァ!」
鎖は中心に向かって締め上がりながら、さらに太く形状を変化させていった。矢印と力が拮抗し、ヴェルの手前でジリジリ止まる。
「受け止めきれる力には限界があるみてぇだなぁ」
「そうかもね。それがどうかした?」
ヴェルが指をくるりと回すと、矢印たちが同じ方向に向かって旋回し、シュルシュルと鎖を解いてしまう。
「そろそろ反撃してもいいのかな?」
矢印はそのまま旋風を生み、巨大な竜巻へと膨れ上がる。
「行っちゃえ」
大きさに見合わないスピードで迫ってくる竜巻。レンは鎖を離れた木にひっかけ、収縮させて難を逃れるが、竜巻はレンを追うのをやめない。
「いつまで逃げられるかなぁ~」
「クソがっ」

ハルたちの方にも礫が飛んでくる。
「げ」
ハヤトが声をあげたときにはもう、拳大の石がハルの顔面に――そう思った瞬間、橙の光が石を弾いた。
「おぉ⁉ なんだ今の」
ハヤトが向き直った先には黒と橙の光に身を包まれたハルの姿。
「これが……俺のネガ?」
「え、めっちゃカッコいいじゃん、ズルい」
「いや、どう扱えばいいんだ⁉」
「それが君の怒りの形だ。怒りに身を任せず、コントロールして!」
「だから、どうやって」
「フィーリング!」
「遊んでないで、手ぇ貸せや!」
気づけば目前に、レンと巨大な竜巻。考えるより先にハルの体が動き、レンを守るよう身を挺する。竜巻が黒い光を飲み込んだ。
「あーあ。味方を巻き込んじゃったねぇ。今どんな気持ち? 自分の無力さに打ちひしがれてる?」
「ザケんなコラ!」
レンの鎖は虚しく弾かれる。
「いや、というかこれ、なんかやばくない?」
ハヤトの視線の先には真っ黒な竜巻。竜巻が黒を飲み込んだのか、黒が竜巻を飲み込んだのか、もはや判然としない。
竜巻の動きが止まり、同時に轟音とともに黒が変形していく。
「は? 私の竜巻が……」
巨大な砲身。後方のタンクにはバチバチとエネルギーが迸っている。
「嘘でしょ」
射出されるエネルギーの塊は、内部に無数のベクトルを溜め込み、回転運動を凝縮しながら進んでいく。ヴェルが反射的に展開した矢印の壁を破壊し、ヴェルの体は飲み込まれるまま消失してしまった。
「あらら……」
ハヤトが困った顔で、エネルギー弾の消えていった方角を眺めている。
元の姿に戻ったハルは呆然としている。
「俺、夢中で……俺は、人を殺したのか?」

その後、ヴェヒター・ハヤト部隊のアジト。
「争いに身を投じていれば、当然今回みたいなこともある。感覚をなくせとは言わないけど……手を汚す覚悟は必要だったね。すまない。ぼくのミスだ。まさか実戦で、いきなりあれほどの力を発揮するとは思っていなかった」
相手は自分たちを殺すつもりで来ているのだから、こういうこともありうる……理解はしているが、人間が一瞬にして消失する光景を、脳が受け入れてくれなかった。
「あの女は、殺されるほどのことをしたのかな?」
「それはわからないし、ぼくたちが決めることでもない。その人が生に値するかどうかなんて、同じ人間には推し量れないからね。ただ戦いに出る以上、道徳云々の前にやらなきゃいけないこともある」
それはそうだ。殺していい理由を探し出したところで、自分が許されるわけではなかった。
「今回のことで、君が降りると言ってもぼくは止めない。ただ、その状態でここを離れても、君はもう真っ当に生きられはしないかもしれない」
「辞めないよ。善悪とか道徳とか、二の次なんだ。早くみんなを見つけないと。でも……」
「そうすんなり飲み込めることでもない。ゆっくり向き合うことが必要かもね」
パタパタと足音がして、ゆっくりドアノブが回る。
「たいちょ~! ヴェルちゃん生き返らせました!」
「ネガ能力もなくしときました!」
ハヤトが頭を抱える。
「……は?」
「いや、冗談じゃなくてね、この子たちには、できちゃうのよ……」
リアクションが予想と違ったのか、アオとミドリは困惑した表情を浮かべる。
「だって、ハルくん落ち込んでたから」
「死んじゃうのかわいそうだから」
「いや、生き返らせたって、どういうことだ?」
「体を元に戻しました!」
「心も元に戻しました!」
ハヤトがため息をつく。
「アオ、ミドリ。ヴェルちゃんのところに案内してくれる?」
「「よろこんで!」」

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