世界を切り取りはじめたウーレイ

4月からウーレイが保育園に入り、GW明けから妻が仕事に復帰した。フリーライターとして独立してからはじめて、自宅での業務に集中できる環境が整ったわけだが、GW直前に受けた尿管結石の手術の経過が芳しくなく、5月前半はほぼ死に体で過ごした。

ともあれ、腫れ上がっていた腎臓も落ち着いたらしく、1年ぶりに健康不安のない日常が戻ってきた感じがする。尿管結石との戦いの記録はまた別の機会に書くつもりだが、なんにせよ再出発の気分に包まれている今日この頃である。

家に家族がいると、気分転換にちょっと散歩に出かけてくる、と切り出すのも気が引けるので、ウーレイが生まれて以降、私はほとんど家から出ることがなかった。もちろん取材で出かけることもあるが、基本的に一日の移動距離は50メートル程度だったのではないかと思う。

そういう生活を1年半ほど続けていたものだから、おそらく、筋肉は日常生活を送れる下限レベルにまで衰えてしまっている。リハビリとして、仕事の合間に近所を走ることにしたが、ジョギングのペースを維持できるのは3分に満たず、それからはぶらぶら近所を散策して帰ってくる。

飯能は区画整理のなされていないエリアが多く、私道なのか公道なのか、民家へのアプローチなのか、判然としない道が結構ある。路地を進んでいるつもりが、いつのまにか奥まった駐車場に行き着いていることもあり、しかし東京のように、「踏み込んでしまった」という罪悪感はすぐには湧いてこない。田舎は境界が曖昧なのである。

古いアパートのベランダに干された洗濯物から、知らない洗剤の匂いが漂ってきて、小学生の頃の、友達の家に来た感じが蘇ってくる。ちょうど、小学校が終わるくらいの時間だったのもあるかもしれない。ウーレイも友達の家に遊びにいって、この匂いを嗅ぐのだろうかと思う。

ウーレイの語彙は少しずつ増え、切り取ることができる世界の一片、そういうものが増えているのだと感じる。街路樹のなかを走る車内で、「き、き、き」と連呼する。実際はiとeの中間音で、「け」にも聞こえる。

しかし、「け」の方もまた別の語彙としてある。髪の毛やジェラートピケの毛布を指して言う。毛布を「け」というのはカテゴライズとしてどうなのか、という感じもするが、文字にしてみるとしっかり「毛」が入っているので、どうやらウーレイによる分類は間違っていない。

世界に存在する事物が区分されていく過程は見ていて楽しい。「え、これそっち?」と揺すぶられるのがいい。境界はちょいちょいブレるのが面白いのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?