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文化を自己決定する街

 工業系の高等学校に赴任して数年が過ぎた頃、ようやく希望していたクラス担任になるチャンスが回ってきました。私が受け持ったクラスは社会基盤工学科で、土木技術を専門に学ぶ生徒たちです。国語の教員である私にとっては全く未知なる学習領域でした。今春、彼らが卒業するまでの3年間に、普通高校ではできない貴重な体験を数多くさせてもらいました。
 
 それらの経験は「街づくり」というテーマと向き合う貴重な機会でもありました。彼らの進路先の多くは建設系の企業です。旧道路公団系の企業や電力事業に関わる企業もありますし、土木系の公務員として行政に携わる生徒もいます。進路指導で履歴書作成のため、彼らと一緒に志望理由を考えていると否応なしに「街づくり」「防災」「インフラ整備」といった言葉を使うことになります。

 そんな彼らと過ごした時間の中で学び考えた「暮らしたい未来のまち」についてまとめていきます。

現場見学から学んだ治水の大切さ

 私の勤務する高校では、年に2回ほど「現場見学」と呼ばれる野外学習に出かける機会があります。地元の工事現場はもちろん、国交省や建設事務所の方の案内で県外の大規模工事の現場を見せてもらったり、黒部ダムなどの見学にも行きました。1年次に最初に訪れた岐阜県大垣市の墨俣一夜城は木下藤吉郎(秀吉)の活躍で有名ですが、木曽川、長良川、揖斐川の三川が複雑に絡み合う治水の難所としても知られています。最新の工事を見学すると同時に、治水の歴史が街づくりの根本に関わる大変な事業であったことを学びました。

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 勤務校のある南信州は、「暴れ天龍」と呼ばれた天竜川水系の上流に位置します。海のない信州生まれの私は、子供の頃から海に強い憧れを持っていました。16歳で原付バイクの免許を取得した時、この川に沿って南に行けば海まで行けるのだと考えて、無謀にも地図も持たずに一人きりで出かけたことがありました。苦労して、ようやく太平洋に注ぐ浜松の河口までたどり着いた時の感動は忘れ難い記憶として残りましたが、とにかく深い渓谷をうねうねと大蛇のように進む天竜川に翻弄されました。この川の流域で生活するということは、揖斐川同様に治水との戦いです。

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 地元では天竜川へ流れ込む多くの支流の治水対策も重要な防災ポイントです。砂防堰堤が各所に造られています。狭く複雑な地形の支流では、ドローンや最新鋭の3D測量を駆使した工事の様子を見学しました。また、地域の水源としても重要な松川ダムでは長年の利用でダム底に土砂が堆積し機能不全に陥ることを防ぐため、水を抜いて浚渫作業を行う現場を見学しました。私たちが安心して生活できるのは、こうした数々の努力のお陰です。しかし、私を含めて多くの方がそんなことは気にもかけずに生活しています。昭和36年には豪雨による大規模な災害があり、地元では三六(さぶろく)災害と呼ばれているのですが、土木の仕事は文字通り「縁の下の力持ち」的側面が強く、工事が終われば見えずらくなって、それが当たり前になっていきます。

修学旅行で実感した自然との共生

 かねてより科学者たちが警告してきた地球温暖化による気候変動が、今は現実のこととして毎年災害をもたらすようになりました。このような時代に生きる私たちにとって、少しでも安心して生活するためには、防災減災のための土木工事が必要不可欠です。2年次に出かけた修学旅行では九州を中心とした計画を立てました。知覧での平和学習とともに、どうしても行きたかったのが桜島です。大規模な災害級の噴火を何度も経験する鹿児島の防災事情を知りたいと考えたのです。指宿に宿泊した翌日、鹿児島市からフェリーで錦江湾を渡って桜島に行きました。雄大で美しい桜島の姿に見惚れると同時に、火山と共に生活する困難さをビジターセンターの展示やガイドさんの説明などから学びました。

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 しかし、鹿児島の方々はその困難を受け入れ、火山と共に生きているという印象を持ちました。火山灰の多い地域では屋根の端についている雨樋が見当たりません。すぐに灰が詰まってしまうので敢えて付けないのだそうです。地域を愛するということは、どうすれば地域の自然と共存できるかを考えることだと思いました。大雨による河川の氾濫や土石流災害が心配な信州では、山や川の恵みとリスクを常に心して生活することが大切です。圧倒的な自然の力と対峙するのではなく、どうすれば厳しい自然と共生できるかを考える。これからの街づくりに必要不可欠な視点です。黒部ダムのような近代科学と技術力の結晶のような構造物も素晴らしいのですが、四国の四万十川に見られる沈降橋のような考え方も大切だと思うようになりました。

リニア新幹線と平田オリザ

 2027年に開業を目指すリニア新幹線。私たちの住む街ではリニア新幹線の中間駅ができる予定になっています。これまで南信州は新幹線とは縁遠い地域でした。長野県の辰野駅から愛知県の豊橋駅までを運行するJR東海の飯田線は、単線で駅と駅の間隔があまりに短いため「走れば追い付く」と揶揄されるほどです。特に天竜峡駅から南のトンネルだらけの区間は、秘境駅としてマニアが訪れるような路線でもあります。そんな街にリニア新幹線が停車するようになるのです。名古屋まで20分、品川まで45分などと言われ、地域の人が舞い上がるのも無理はありません。様々な課題を抱えながら進む工事は工期を大幅に遅れていて、27年の開業は難しそうですが、開業後の街づくりは待ったなしの状況です。生徒たちの志望動機の文章を添削していると「リニア開通後の街づくり」というような表現をどうしても入れたくなってしまいます。

 先日、キャリア教育研修ということで、リニア開通の影響を受ける複数の市町村にまたがる地域の教職員が、地元自治体や商工会などが参加する団体の主催で集められました。目玉は劇作家で2021年4月豊岡市に開学した「芸術文化観光専門職大学」の学長に就任した平田オリザさんの講演会です。平田さんは著書の『下り坂をそろそろと下る』の中で、これまで関わった小豆島や豊岡市などの「街づくり」について詳しく述べています。私たちの街も「リニア開通」をただ眺めているだけでは、ストロー効果で若い人たちが都会に吸い取られ、下手をすると地元では買い物もしなくなるという現実に直面しているのです。そのような状況にしないためには、どのようなキャリア教育が必要なのかというのが研修のテーマだったのですが、むしろ「街づくり」を進める自治体や広域連合に携わる大人たちが、腹を括って「どのような街を作るのか」哲学を持つことこそ必要だという点が浮き彫りになる研修会でした。

 平田さんは著書の中で「雇用や住宅だけを確保しても若者は戻ってこない。ましてIターンやJターンは望むべくもない。選んでもらうためには自己肯定感を引き出す広い意味での文化政策とハイセンスなイメージづくりが大切だ」と述べています。講演会の中でも「手に職をつけて村を捨てていく」ようなキャリア教育はやめ、「文化の自己決定」を可能とする「付加価値を生み出せる人材の育成」が重要だとおっしゃっていました。精神的、文化的自立がないと「都会に収奪される」だけになってしまうと。

 魅力的なコンテンツを生み出す努力を惜しんで、箱物さえ作れば人が集まるだろうと考えるのは時代遅れです。数々の自治体がふるさと創生でばら撒かれた一億円の活用に失敗した過去の例を引き合いに出すまでもないでしょう。まずは地域が魅力を持ったコンテンツを育てる哲学を共有し、そのコンテンツを育てる機能を備えた箱物を、よくよく考えて造らなければ失敗は免れません。平田さんは「ソフトの地産地消」という言葉を使っていました。城崎温泉にあった古い会議施設を改修して造った「城崎国際アートセンター」の成功例が著書には紹介されています。 

私が「暮らしたい未来のまち」は

 こうした学びの中で、私が「暮らしたい未来のまち」はどんな街なのか、改めて思いを巡らせてみました。その街は・・・

① 防災意識が高く災害に強い、住民の安心と安全を最優先する街

② 豊かな自然の恵みと、そのリスクを共に受け止め、謙虚に自然と共生しようとする街

③ 発信できるコンテンツを生み出す哲学を地域で共有し、それを育てる機能を持つ制度や施設を積極的に造る街

 いかがでしょうか。

 卒業していったクラスの生徒たちは、今や直接「街づくり」に関わる仕事を請け負う立場にあります。彼らの活躍に期待するとともに、私も授業を通じて「文化の自己決定」を可能とするような力を粘り強く育てたいと考えています。

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