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イリュージョニストを観劇して

このコロナ禍で観劇できなかった方がたくさんいらっしゃるのに申し訳ないのですが、最終日の13時半からの公演を見させていただきました。

めっっっっちゃ良かったです。
コンサートver.に変更→全セリフありの演劇ver.と変更を重ねたらしいのですが、ギリギリまで詰めに詰めてこの形まで持っていったってことですよね?
このコロナ禍、出来ないことを全て飲み込んだうえで、妥協の2文字には決して屈せず、最後の最後までもがき続けたら、ピンと張り詰めた空気の中でしか見ることのできない、美しさが生まれた。自分の目にはそんな風に映りました。

美しかったんです。私にとって、バックボーンやら、観劇する人たちの心情やら、とにかく全てが。

だから、めっっっっっちゃ良かったです。


ここからはストーリーについて思ったことを、私の身勝手な解釈で綴ります(^_^;)
ツッコミどころがあったら教えて下さいね。
作品に対してあーだこーだ話するのも楽しいですよね。
見る事のできなかった方は、ネタバレを含みますのでご注意ください。




こういう話、大好きなんですよー。
冒頭で、警告のように揺さぶって来たので、ミスリードしないように割と丁寧に見てたつもりでしたが、「事実」の幅を広く取ってあって、ストーリーを追うだけでは確定できない部分が多いなと。
もしかしたら、その「事実」の確定を、アンサンブルの方の表現で補完できる可能性があることを、パンフレット内で演出のトムさんが語っています。……が、それもミスリードを誘ってる可能性があると。それを承知で探してみるのも楽しそうですね。

物語をそのまま受け取ると、二人が愛のために一芝居うった、ということになります。この場合、割と早い段階で嘘のためにアイゼンハイムが動き出してるので、殆どの場面で欺いてることに。さすがイリュージョニスト。

ただ、この作品、どこから嘘が始まるかで、真実が一変する可能性を孕んでいると思います。

私はソフィ、レオポルド、アイゼンハイムは3人共、最後には亡くなってしまっている。これが割としっくり来ちゃいました。
亡くなってしまったソフィの復讐のため、アイゼンハイムはすべてを捨てて計画を実行します。
そして最後はソフィに会うため、アイゼンハイムは自分で肉体と魂を切り離す。二人は肉体を捨てることによって、最後のシーンでようやく繋がれた、と。
私には、ソフィが亡くなったあとのアイゼンハイムのあの姿が、どうしても演技には見えないんですよね……いや海宝くんがやってるから演技なんですけど。
それだと時系列的に計画前に剣から宝石を盗んでることになるんですけれど、アイゼンハイムのことだから、二人を別れさせるための計画を別で練っていたのでは……?なんて、強引でしょうか?その計画は実現出来なくなりましたが、復讐という別の使い道が出来た。一応、破綻はしてないかな?(^_^;)

そうなるとソフィはレオポルドが殺した……と考えると丸いんですが、こちらも嘘ついてるように見えないんですよね……そうなるとじゃあ誰が?
この推論、穴だらけになってきましたが、レオポルド二重人格説とか、事故に巻き込まれた(傷はレオポルドによるもので、致命傷は……落馬?)とか???あ、無理やり感がものすごい。

という訳で、どこまでが真実でどこからが嘘か、とても曖昧なのが非常に面白かったです。
海宝くんに聞くことも出来ますが、海宝くんですら製作者サイドから嘘の情報を与えられている可能性すらありますしね!そうすれば、観劇されてる方々のより多くを欺くことが出来るでしょうし……なんて疑いだしたら切りがありません。単純に真実が一つじゃない可能性もありますし。

なんにせよ、ソフィも言ってましたが、本物のイリュージョンを見るのと同じように、真実を知らないでぐるぐる考えている方がずーっと楽しめそうです。もう一度見たい。

ちなみに、作品内でアイゼンハイムが話していた魂と肉体についての件、私は実は魂といったものはあんまり信じていないんです。けれど、あるとすれば、肉体で行ったすべての過程と、その結果のことかな……なんて最近考えてます。
そういった意味では、今回のイリュージョニストは、一際大きな魂があったように見えました。

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