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낙원へ
「낙원」
楽園と名付けられた曲はその曲の通り甘いメンバーの声とメロディーで楽園へ導いてくれるよう曲だ
私は好きな曲の五本の指に入る程この曲がお気に入りだが、この曲はなんと言っても歌詞が深くて甘い。今日は少し掘り下げて話してみようと思う。
初めに、この曲は人生に疲れてしまった私達を慰め楽園へと誘う曲である。一説にはうつ病をテーマにしたと言われているが、真偽は分からない。
しかし、絶賛不定型うつの私にはこの曲はオアシスのように鮮やかに聞こえたし、神の救いのように感じた。うつと曲を結び付けないで欲しいと思う人もいると思うが、今回はうつ病である私の主観から見たこの曲について、自分語りを含めて書こうと思う。
まず冒頭の「마라톤마라톤〜」
人生をマラソンに例えたものだ。誰しもが人生のマラソンの長さに絶望する時はあると思う。
私はまだ17年しか生きていないが何回も人生に挫折しそうになったし、今も挫折中だ。
生きることに疲れると人生は終わらない持久走に感じるし、生きのできない海に沈んでいくように感じる。
息が詰まるような、
手を伸ばしても届かなくて、
段々と堕ちていく感覚。
光も段々と差さなくなり、どうしようも出来ないまま堕ちていく。
「꿈이없어도괜찮아(夢がなくても大丈夫)」
ストレートにそう言ってくれた事に、何回も何回も繰り返し歌ってくれたことにどれほど勇気づけられたか。
オタクとしてアイドルを見ていると私と同世代、もしくは私より低い年齢の子達が夢を持ってがむしゃらに走っている。私の周りの友達も夢に向かって努力している。社会の大人たちは働いて前進している。
そんな中で何も出来なくなってしまった私は必然的に遅れをとっているように感じたし、「夢を持つこと」を強要されたこの社会では生きづらさを感じる。
「세상은내게욕을퍼붓네(世界は僕に悪口を浴びせる)」
「私は何故止まってしまうんだろう、何故動けないんだろう」
世間、周りの人々、そして私自身が自分に責め立てる。そして自己嫌悪の波に溺れる。
それでも身体は動かない、金縛りに遭ったように
現代社会は生産性を求めるし、その中で生産性のない自分を愛することは難しい。
生きている意味を見いだせないからだ。
「生きているだけでいいんだよ」なんて言われても綺麗事のように聞こえてしまう。
そんな中で彼らは
「네가내뱉은모든호흡은이미낙원에(君の吐き出す息は既に楽園へ)」
と言ってくれる。
そしてこの曲で印象的なフレーズ
「꿈의이름이달라도괜찮아 (夢の名前が違っても大丈夫)」
昔から夢見ることが当たり前のように育てられた。何かを夢見ることが自然だと思わされていた。
そんななかで自分で無理やり捏造した夢は輝いてなど感じられなかったし、毎日夜見る夢が甘いのとは対照的に捏造された夢は私を苦しめる。
幸せになる為に作られた夢はゆっくりと私の息の根を止めようとしていた。
「세상은욕할자격이없네(世界が悪口を言う資格はない)」
夢が大きくても、夢がなくても、夢が自分を狂わせないように彼らは私たちを守ってくれる。
夢が無くて、止まってしまった時計を動かせずに不安になっている私を優しく慰めてくれる。
この間病院に行った時に、主治医に「1年ぐらい集中的に休んだら?」と提案された。
凄く不安になった。人生は、若い時間は有限で周りの人々は前へ前へと進んでいる中私はこんな所で止まってしまって良いのだろうか。
何処へも行けない私は私であることを許容し続けられるのだろうか。
夢を持てない、毎日生きることすらままならない私は生きていていいのだろうか。
「Stop runnin’ for nothin’ my friend」
がむしゃらに生き続けおかしくなってしまった私に彼らは語りかける
螺旋階段のように続くメロディー、楽園へと誘う甘い言葉が私をゆっくりと深海から引き上げていく。
何も無い私を、何も無くなってしまったボロボロの私を優しく包み込んでくれる。
何も無くても自分自身を愛せるように、彼らはこの歌を作ってくれた。
彼らの掲げる「 love yourself 」
に私は何度も人生を救われたが、このような角度でもそれを歌ってくれたことに感謝しかない。
夢を応援する夢や、夢を持つことを肯定する歌は飽きるほど聞いてきた
でも、「夢を持たなくてもいい」と言われたのは初めてだった。
これを彼らはどのような思い出作ってくれたのだろう
彼らも深海に堕ちてしまうような、苦しい感覚に何度陥ったのだろうか
偉大になった彼等の影に、どれ程大きな苦しみが彼等を支配してきたのか分からないし
今も「僕には何も無い」と言ってしまうような彼らの弱さが私を救っている
彼らは強くて偉大なのと同時に、弱くて優しく、遠くて近いから大きな光なのだと思う
社会は予想していたよりもずっと辛く苦しく、酸素が薄くて息がしづらい
悲しいことは続いても、私が「まって」と言っても人生は進む
息をするのを諦めてしまいそうになる
この世に楽園なんてない
そんな私を楽園へいざなってくれて
生かしてくれてありがとう
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