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精神疾患持ちが美大を受験した話

本当はこういうのは合格した後に書くのが筋だろうけどもし合格してなかった時、メンブレして書けなそうなので結果待ちの今書いてみようと思います。


私と病気と受験と。



テレビで毎年見るセンター試験のニュースなんてずっと他人事だったし、予備校に入った4月だって受験なんて他人事だった。

前提として私は美大受験をする美術予備校に高三から1年間通っていた。


鬱になった後生きることが正解か分からなくなり医学部志望を諦め、進路がなくなってしまった。
このまま死んでもいいとは思いながらもどこか、それでも生きていかなきゃいけない現実に向き合っていた自分がいたんだと思う。

元々絵を描くのが好きだったし、自由に何かを作ってみたいと思っていたから美大受験を決意した。
あっさり書いたけどかなり決断は時間を要した。

「美大受験」で検索をかけると
「美大受験 辛い」 「美大受験 辞めた方がいい」
みたいなのばっかり出てくるし、元々メンタルの弱い私がそんなものに挑んでいいものかと思った。

でも、学校のPTSDで勉強が出来なくなった自分が大学に行ける道はこれしかないというのもあったし、


これが出来なかったらもう私は何も出来ないんだろうな、だからこれが私の最後の挑戦だ

と思いながらこの進路を選んだ。


未知との出会い 美大予備校

美術部にいた訳でもなく、絵が好きと言いながらもそこまで上手いわけでもなかった私にとって美術予備校なんてものは恐ろしい以外の何者でもなかった。

絵が上手い人達がわんさかといて、比べ合い、蹴落としあうバトルフィールド……そんな風に思っていた。

まあ結局それは間違いなかったのが、それ以上に暖かい場所でもあった。

4月、アホみたいにコミュ力のある人達ばかりだったお陰で同じ専攻の人たちと友達になれた。

友達はみんな派手髪だったしピアスもバチバチに空いてたから怖かったと言いたかったとこだが私もそうだったので、意気投合し仲良くなれた。


明るくて楽観的な友達に囲まれたおかげで高校不登校だった私は同じ轍を踏む事無く予備校デビューができたのだ。


死の淵から引き上げたのはデザインだった


k-popのアルバムジャケットやMVのアートディレクションが好きだったのでデザイン専攻になったものの、私はなんにもデザインの事を知らなかった。(舐めてる)

でも、それでもデザイン科を選択をした過去の私を大いに褒めてあげたいし、デザインが限りなく私の人生をいい方向に持ってってくれたことは事実である。


予備校ではデザインの基礎から教えてもらった訳だが、1番初めに先生に「好きなデザインを只管探すことが勉強だ」と言われPinterestを携帯に入れさせられた。

よくわからずも通学時間、空き時間に只管Pinterestで好きなデザインを見つける生活が始まった。

Pinterestは、革命だった。


Pinterestを知らない人に説明すると、Pinterestは画像を検索すると関連した画像が永遠と出てくるアプリだ。
これで検索していくと芋づる式に新しいデザインに出会える。
Pinterestは私の想像の範疇を超えたデザインで私を魅了し続けた。

こうやって色々なデザインに触れていくと、段々世界が明るくなっていったのだ。
明るくなったというか、正確には、私が世界の明るさに気づいたのだ。

ずっと足元だけを見て歩いてたのが、街中のデザインが気になり始めて顔を上げるようになる。
街中の面白さに気づくきっかけだったのだ。

精神疾患持ちの人が世界はまだ捨てたもんじゃないって思えるって相当のことだと思ってる。
まあ、まだ世界を肯定したいとは思っていないが悪くない一面を知れた事で少しずつ世界を肯定できるようになって行ったと思う。




先生に作品を見せてアドバイスを貰う事で気づきを貰えること。友達と話す中で新たな知見を得られる事。
そうやって、ずっと暗闇でうずくまってた私が小さくとも1歩ずつ前に向かって進んでいることが楽しかったし、嬉しかったし、奇跡だと思った。


だから先生や友達には最大級の感謝をしたい。この先生たちでなければこんなにもデザインに惹き込まれることは無かったと思うし、友達がいなかったらデザインに熱心になれなかったと思う。


折角なので友達の共作なのだが作った作品をここに乗せておこうと思う。
未来をテーマにしたグラフィックデザインだ。



結局美大受験は辛かったのか?

結論から言うと辛かった。でも一般受験をしていないからどっちの方が辛いかは分からない。

美大受験が辛いとされる理由には家庭環境が大きいし、まず辛さの尺度は人それぞれだから比べられるものでもないのかもしれない。

何がいちばん辛かったか?と聞かれれば真っ先にデッサンだと言うだろう。

これは本当に人によるのだが私の場合の話をしようと思う。


私はこんなにも先生に手塩をかけて育ててもらったにも関わらず、デッサンが上達しなかった。
というか、デッサンのことを分かっていなかったし、デッサンが難しかったからこそデッサンから逃げてしまい、正面から向き合わなかったから上手くならなかったのだと思う。

受験直前は方法論でなんとか乗り切ったのだが(乗り切れていたかはまだ分からない)デッサンに必要な目を養えないまま受験が終わってしまったことを後悔してるし、大学では今度こそデッサンは上手くなりたい思う。


あともうひとつ、メンタル的な面の話。

私は人の前で自分を取り繕って明るく見せようとして、本当の自分と離れていって自分でついていけずダメになってしまう自爆パターンをするのだがそれでダメになり1ヶ月休暇をもらった。
12月ぐらいのことである。
正確にはそれもあるし、単純に受験へのプレッシャーもあった。
その頃は絵を描いていて楽しいとは思えなかったし(当時は「楽しくない」と思ったら負けだと思っていたので意地でも思わないようにしていた)毎日6時間絵を描く生活がきついと思っていた。

しかし、自分で決めて、親に大金を払ってもらって実現しているこの進路。これがダメになったらもう私は何にもなれないと思っていたから諦めることはしなかった。これは、これだけは譲れない私の意地だった。

何も出来ないくらいなら死んだほうがマシと思っていた、私の意地だ。


ただ、ここで過去の私やこれを読んでいる人達に言いたいのは、諦めることが悪いことではないということだ。私は学校を諦めたらもう人生終わりだと思っていたけど結局終わってなくてこうやって新しい面白いことに出逢えたし、世間は続けることが美徳だと人々に刷り込ませているがそんなことは無いと叫びたい。

諦めたらその道は閉ざされて、違う道に進むだけだ。
それが偉いかどうかは世間が決めることじゃない、貴方の価値観だ。


血眼だった受験期

いよいよ受験期になると、予備校の時間は長くなるし課題も難しくなったが、友達と辛いと言い合える環境があったからこそ乗り越えられたと思っている。

今までずっとただ生きているだけで私は辛かったが、それは私だけだった。でも今回はみんな辛いと言っている、結局辛いことには変わりないんだけど、それでも心強かった。

いつも私が友達に弱音を聞いてもらう立場だったのに、ここではみんなが弱音を吐いてることが新鮮だったし辛い辛いと言いながらも友達と話しているのは救われた。


友達に言われてハッとして救われた言葉を貼っておこうと思う。
私が「なんでこんなに辛いんだろう」と呟いたら、
「希望があるから辛いんだよ」と言われた。
(その後めちゃくちゃ恥ずかしがってた)



美大受験では毎回作品制作後に上段、中段、下段に段階を分けて全員の作品を講評する。

先生が怒ったり傷つくようなことを言うことは無く明確に良いところと悪い所を指摘してくれる。これでも結構シビアだったと思う。
一喜一憂する程ではなくても、受験直前に自分の作品が下段になると「このまま受験にいったら落ちるじゃん…」とじわじわと不安が蝕んでいく。


先程も話した通り私はデッサンが本当に伸びなかったので直前でも中段と下段を行き来しており、それに情緒を振り回されていた。
しかし先生が「あー惜しかったね〜」と言っていつも通り明確に優しく指導して下さることにすごく救われたし、先生は悪いものはちゃんと悪いと言う先生だったから尚嬉しかった。ここの予備校にして良かったな、と思った瞬間だ。

1ミリでも手を抜けば下段に落ちるバトル、毎日本当に集中してこなしていかなければならなかったから自然と気の散る娯楽から離れた。
欲や俗世間と離れて自分の最大限を出すために日々修行を繰り返すのは仙人そのものだったような気がする。

受験生は仙人。

先程講評の話をしたが、結局最後の最後に戦うのはライバルではなく「自分が自分の最大限を発揮できるか」という自分との戦いであり、それがラスボスだったのかと思う。


受験本番 明日だけを見た

結局、1番緊張したのは初っ端の共通テストだった。

それは私は実技より勉強の方が自信があったから勉強に賭けようと思っていたからでもあるし、逆に実技が緊張しなさすぎたのもある。

自分の想像では本番なんて手が震えて絵の具の線がよれよれになるんだと思っていたが、そんなことは無かった。
結局いつも以上の実力は出ないのだから、いつも通りやること。
着実に、淡々と一日を着実にこなすこと。
試験の日程や(鬼のよなスケジュールだった)倍率など、現実を見たら今の自分の状況がめちゃくちゃ辛いことに気づいてしまうからただ今やるべき事だけを考えた。

でも、1つ救いがあったのは終わりがあったことだ。
精神疾患を抱えていると終わりのない地獄に永遠と苦しむことになるのだが、受験は終わりがあったから頑張れた。
直前期は「こんなの終わるの?」「これを終わった私を想像できない」なんて思ってたが絶対に終わる。確実に時は流れる。これだけは自明なんだ。


最後に感謝を

結果発表前に書くのはここまでにしようと思う。

美大界隈では有名なかのブルピリにもあったが、私は美大受験において努力は環境だと思う。

私がここまで来るまでには数え切れない障壁があったけど、私が自分の力で乗り越えてきたと言うより誰かの力を借りて共に乗り越えたものだと思っている。

美大受験を快くOKしてくれお金を出してくれ励ましてくれた父、怖くて電車に乗れなくなってしまった私のために毎日車で送り迎えしてくれ1番近くでサポートしてくれた母、明確ながら優しく最後まで私を伸ばしてくれた先生たち、こんな特殊な私を受け入れて苦楽を共にしてくれた友達たち。


奇跡的な恵まれようだと思う。精神疾患持ちが美大受験をやり遂げるなんて。
感謝しかないし、これからは恩返しのためにもなんとかもう少しは生きてみようかと思う。
暖かいこの予備校と家族が大好きだ。

本当にありがとう。




あとがき    合格発表のあと、今

この間合格発表があった。



結果は、第1志望合格だった。

前も書いたようにデッサンに自信がなかった私は本番でもやらかし、試験後気が気じゃなかったし落ちているんじゃないかという不安で合格の文字を見るまで受かるなんて思っていなかった。

色彩はよかった…なんて総評を語り出すとまた長くなるのでそれはここでやめておこうと思う。


兎に角、この1年の努力が報われたのだ。

「努力が報われた」… 薄っぺらい言葉に感じる。

今まで本当に浮かばれない人生を送ってきた私にとって努力が報われるなんて綺麗事だと思っていた。今でも軽々しく吐かれるこの言葉に嫌気がさすことなんて度々ある。

努力は必ず報われる訳では無い。

ただ、今回は報われた。

それは、私がただ努力したからでは無い。
私の努力なんてたかが知れていて、私一人だけの力でここまで辿り着くなんて到底無理だったと思う。

結局先程の繰り返しになるが、これは私が奇跡的な運で人々に恵まれ、その人々のおかげで努力が報われたのだ。

そしてもうひとつ、私が自分のことを信じられたからだと思う。

究極のネガティブ思考の私は自分のことを信じるなんて到底今まで無理だったのだが、この1年、私の中でちっぽけだけど最大級の努力をし続けた事実が、それは目に見える絵の上達だったり、気づきだったり、そんな様々な事が私の中で自分を信じる根拠になったんだと思う。


だから自分と、支えてくれた全ての人に最大級の感謝を捧げたい。

改めて、本当にありがとう。

これからは美大生という立場で、恩返しができるようにまた精一杯頑張ってみようと思う。

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