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小さくて美しいものが私を変えている話-最近のあれこれ-

この間まで受験で焦っていた筈なのに気づいたら3月が終わり桜が咲き始めていた



3月、何をしていたかというと、ここ3年会っていなかった沢山の友達たちに会った

ここ1年ぐらい、ブログを書く時は特にだけど孤独を感じていて、私の周りには誰もいないなんて叫んでいたから友達に会って話をすると私の周り人はいたんだなあなんて思った


一応過去の私の為に弁解すると私が孤独を感じるのは必然だったと思う

高校を鬱で中退して、通っていた塾も全部やめて、親でさえ病気の事を理解して貰うことはなかった
孤独→依存→孤独の悪循環が完成されてしまって、これを読んでるみんなにも「私がいるよ」って何回も声をかけて貰えたのにも関わらずそれを受け入れることは出来なかった



もう歩けなくて、足に力が入らなくてうずくまったけど誰も助けてくれなくて苦しかった新宿駅を思い出す



みんな通勤に忙しくて意外と声掛けてくれないんですよ笑

誰も信じられなくなったし、今も出会った全ての人を信じられる訳では無い。信じた結果傷ついてしまう位なら最初から信じない方がましだと思っていた。
ついでに、理解されたって言ってみんな中途半端に傷つけてくるのならもういっそ誰にも理解されたくないと思った
 


受験のストレスや中卒コンプレックス(実は結構あったんです笑)から放たれた今前ほど酷く病むことは無くなったけど、根本にあるこの考え方は今も変わらない


「誰にも理解されたくない」が、私の脊髄になって私を形づくっている

だから、誰にも簡単に理解させないようなものに心惹かれるようになった
理解の範疇を超えたものに美しさを感じるようになった


理解できないものを創ることで、理解できないもので自分を武装することで生きていこうと思った



でも1つ最近変わったのは、「人と関わりたい」と思うようになってきたことだ

他人なんてクソ喰らえ精神だった私をそう思わせてくれたのは、先程も言った通り久しぶりに会った友人たちのお陰でもあったし、何よりアートで繋がった新しい仲間たちのおかげだ

その新しく繋がった仲間達は(というか年上のお姉さまお兄さま方が多いのですが)、魅力的で輝いて見える
(ここから先輩方自慢が入ります)
まず前提として何かをつくっている方々が多いのだが、それがめちゃくちゃみんなかっこいい。考え方がはっきりとあるから芯の通った、凛とした作品ができる。そしてその方たちの考え方に触れてからもう1回作品を見ると更に良さが感じられる。
そして何かに没頭している人が多い。没頭している人は、本当にすごい。没頭する程のエナジーを持ち合わせているということだし、そんな方たちの知見は普通に生きていたら得られないものばかりだ。だから話がめちゃくちゃ面白い。


そんな方たちの生き方や考え方に触れて感動することが多々あって、こんな面白い人達がこの世の中にいることを知り、だったらもっと人と関わってみたいと思った

今までは人と話すと言ったことを何回も自分の中で反芻して、脳内反省会を開いてしまうから人と話すことが辛かった
今も根本的な癖は治っていないのだが、そんな事を気にして前に進めないより、恐れずどんどん進んで人と関わってみようと思い直したのだ

世界はどうしようもなくだだっ広くて、良くも悪くも色んな思想の人が生活しているから、自分から1歩踏み出して触れてみようと思ったのだ



前のブログも読んで頂けると分かるかもしれないが、嫌いだった、汚いと思っていた世界の中にあるいくつかの小さくて美しいもの達が確実に私を良く変えている


前はその時の自分の状況を、自分は水の中に居て苦しい、もがいても沈んでいくようだと比喩していた

今は、そこに一筋光が刺したような気分だ
まだ水の中だけど、生きていく気力が湧いているような気がする


もっと素敵な人達と出会い、色んな考え方に触れて、もっと美しいものを知りたい、そして美しいものをつくりたい


それが今の私の原動力


大学と共に一人暮らしも始まるし、心が新しい環境についてきてくれるかとか不安なことで胸はいっぱいだけど、それと同じぐらいまだ見ぬ世界に心躍らせている自分がいる

この世界はまだ知らないことで満ち溢れていて、それが今の私の救いだ




これから、「死なずに生きていて良かった」と思えるような世界に出会えますように


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