彼が感じた悔しさを、感じ切れなかった自分に悔しくなる

久しぶりに弟に会いました。

昨日、南青山でインディゴ染めワークショップを開催しました。おかげさまで述べ50名ほどの方にお越しいただいて、久しぶりに兄弟揃った姿をお見せすることができました。

EVERY DENIMは、ぼくと弟の兄弟が共同代表なのですが、2人は普段離れて暮らしており、遠隔でコミュニケーションをとることが多いです。

いわゆる阿吽の呼吸がめちゃくちやあるので、日常はLINEでも全然事足りると思っているのですが、

やはり実際会うと、話のスピードが全然違う。次から次へと、お互いに言いたいことがありすぎて、あっという間に時間が経ってしまいます。

こうしてEVERY DENIMを運営できているというのは仲が良いからに間違いないのですが、小さいころからそうだったかというと、実はそんなことはありません。

実際、弟と、ちゃんとというのは変でしが、話すようになったのは、ぼくが高校の部活を引退した、17歳の夏くらいから。弟は当時高1、15歳でした。

そこからもう6年半ほど経つわけですが、ほとんど毎日のように連絡を取り合っています。

怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、いろんな感情を共有してきました。強く心が動いた出来事は、いまでも覚えています。

ただ、その中でも特に、ぼくの中で印象に残っているのは、どちらかといえば、同じ出来事に直面しても弟ほど感情的にならなかった時。

「割と冷静に見つめる自分」の方が、強く記憶の中にあったりします。

一緒に感情的になれば、統一感は生まれる気がするし、分かり合えたようにもなる。

でも、感情に差があった時、互いに互いを理解しようとする行為の方が、逆に2人の結び付きを強めているのかもしれません。

彼が感じた悔しさを、感じ切れなかった自分に悔しくなる。

そんな風にしてぼくたちはまた、互いを理解しているのでしょう。

山脇、毎日。