見出し画像

ChatGPTの『日本書紀』英訳 雄略天皇 7

『日本書紀』雄略天皇 7

十一月壬子朔甲子、天皇、命有司設壇於泊瀬朝倉、卽天皇位、遂定宮焉。以平群臣眞鳥爲大臣、以大伴連室屋・物部連目爲大連。
元年春三月庚戌朔壬子、立草香幡梭姬皇女、爲皇后。更名橘姬皇女。是月、立三妃。元妃葛城圓大臣女曰韓媛、生白髮武廣國押稚日本根子天皇與稚足姬皇女更名𣑥幡娘姬皇女、是皇女侍伊勢大神祠。

≪英訳≫

On November 13th, the Emperor ordered officials to prepare the enthronement ceremony at Asakura in Hatsuse, where he ascended to the throne. He established his residence and appointed Heguri no Matori as the Prime Minister. He also appointed Ōtomo no Muroya and Mononobe no Me as the Grand Ministers.

In the first year, on March 3rd, Kusaka no Hatabi Hime was made the Empress. In the same month, three consorts were also appointed. The first consort, Karahime, was the daughter of Kazuraki no Tsubura no Ōomi. She bore two children: Shiraka no Takehiro Kunioshi Wakayamato Neko no Sumeramikoto (Emperor Seinei) and Princess Wakatarashi Hime. This princess served as the High Priestess of Ise Shrine.

≪この英文の和訳≫

十一月十三日、天皇は役人に命じて、即位の場を泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)に設け、そこで皇位に就かれました。宮居を定め、平群(へぐり)の真鳥(まとり)を大臣(おおおみ)に、大伴(おおとも)の室屋(むろや)と物部(もののべ)の目(め)を大連(おおむらじ)に任命しました。

元年の三月三日には、草香(くさか)の幡梭姐皇女(はたびひめのひめみこ)を皇后に立てました。同じ月に、三人の妃(きさき)を立てました。最初の妃は、葛城(かずらき)の円大臣(つぶらのおおおみ)の娘である韓媛(からひめ)で、彼女は白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと 清寧天皇)と稚足姫皇女(わかたらしひめのみこと)を生みました。この皇女は伊勢神宮の斎宮(いわいのみや : さいぐう)となられました。

令和6年6月28日(金) 2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?