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ChatGPTの『日本書紀』英訳 雄略天皇 13

『日本書紀』雄略天皇 13

秋八月辛卯朔戊申、行幸吉野宮。庚戌、幸于河上小野。命虞人駈獸、欲躬射而待、虻疾飛來、噆天皇臂、於是、蜻蛉忽然飛來、囓虻將去。天皇嘉厥有心、詔群臣曰「爲朕、讚蜻蛉歌賦之。」群臣莫能敢賦者、天皇乃口號曰、

野麼等能 嗚武羅能陀該儞 之々符須登 拕例柯 舉能居登 飫裒磨陛儞麻嗚須一本、以飫裒磨陛儞麼鳴須、易飫裒枳彌儞麻嗚須。 飫裒枳瀰簸 賊據嗚枳舸斯題 柁磨々枳能 阿娯羅儞陀々伺一本、以陀々伺、易伊麻伺也。 施都魔枳能 阿娯羅儞陀々伺 斯々魔都登 倭我伊麻西麼 佐謂麻都登 倭我陀々西麼 陀倶符羅爾 阿武柯枳都枳 曾能阿武嗚 婀枳豆波野倶譬 波賦武志謀 飫裒枳瀰儞磨都羅符 儺我柯陀播 於柯武 婀岐豆斯麻野麻登*一本、

以婆賦武志謀以下、易「舸矩能御等 儺儞於婆武登 蘇羅瀰豆 野磨等能矩儞嗚 婀岐豆斯麻登以符」。因讚蜻蛉、名此地爲蜻蛉野。

≪英訳≫

On the eighteenth day of the eighth month of autumn, the Emperor visited the Yoshino Palace. On the twentieth day, he went to Kawakami no Ono. He ordered the mountain officials to drive out the animals for hunting.

While the Emperor was preparing to shoot an arrow himself, a horsefly flew in and bit his elbow. Suddenly, a dragonfly flew by and ate the horsefly before flying away. The Emperor praised the dragonfly for its considerate behavior and decreed to his ministers, "Compose a poem in praise of the dragonfly for me." However, none of the ministers dared to write a poem. So, the Emperor himself composed one.

In the mountains of Yamato,
There is a beast.
Who will inform the great lord?
The great lord listens,
Sitting on a stool adorned with jewels and beautiful woven cloth,
Waiting for the beast.
As I prepare,
A horsefly bites my hand.
The dragonfly quickly eats it.
Even insects serve the great lord.
I will keep this as a memento,
And name this land Akitsushima Yamato.

Thus, the Emperor praised the dragonfly and named this place Akitsu-No (Dragonfly Field).

≪この英文の和訳≫

秋の八月十八日、天皇は吉野宮にお出かけになりました。二十日には川上の小野にお越しになりました。山の役人に命じて、動物を追い出させました。

天皇が自分で矢を射ようとしていたとき、虻(あぶ)が飛んできて天皇の肘を嚙んだ。そこへ蜻蛉(あきつ トンボ)が急に飛んできて、虻を哇(くわ)えて飛び去った。天皇は蜻蛉(あきつ トンボ)の心遣いを褒めて、大臣たちに「蜻蛉を褒める歌を作りなさい」と命じました。しかし、誰も詠む人がいませんでした。そこで、天皇自身が詠まれました。

野麼等能 嗚武羅能陀該儞 之々符須登 拕例柯 舉能居登 飫裒磨陛儞麻嗚須一本、以飫裒磨陛儞麼鳴須、易飫裒枳彌儞麻嗚須。
飫裒枳瀰簸 賊據嗚枳舸斯題 柁磨々枳能 阿娯羅儞陀々伺*一本、以陀々伺、易伊麻伺也。
施都魔枳能 阿娯羅儞陀々伺 斯々魔都登 倭我伊麻西麼 佐謂麻都登 倭我陀々西麼
陀倶符羅爾 阿武柯枳都枳 曾能阿武嗚 婀枳豆波野倶譬 波賦武志謀 飫裒枳瀰儞磨都羅符
儺我柯陀播 於柯武 婀岐豆斯麻野麻登*一本
*いろいろ調べても、この「一本」がよく分らなかったが、その後下記のことのようだと分った
*「一本」は次のことのようだ
「或本云」について考察。これらの考察の結果、「「一本」「旧本」「或本」などといわれるものは、日本書紀の祖本に擬し得るような組織立った史書であった。」と著者は結論づけている。
『記紀批判:古事記及び日本書紀の成立に関する研究』(梅沢伊勢三/著 創文社 1976)

やまと の おむら の たけ に しし ふすと たれか この こと おおまへに もうす
おおきみ は そこ を きかして たま まき の あぐら に たたし しずまき の あぐら に たたし しし まつと わが いませば さい まつと わが たたせば たく ふら に あむ かき つきつ その あむ を あきつ はやく ひ はふ むし も おおきみ に まつらふ なが かたは おかむ あきつ しま やまと

大和の地、尾村の山の頂に鹿がいると、誰がこのことを大君に申し上げるだろうか
大君はそれをお聞きになって、宝石を飾り、美しい*倭文(しづ)を巻いた胡床(こしょう、あぐら 床机)におかけになって、
「もし私が鹿を待つなら、静かに座ろう
もし私が鹿を追うなら、力強く立とう
手のふくらに虻(あぶ)が食いつき、その虻を蜻蛉(あきつ)がたちまち食い、虫までも大君に仕える。
お前の形見として残しておこう。この蜻蛉島(あきつしま)、大和という名を」

*しず〔しづ〕【倭文】
《上代は「しつ」》カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物。 綾布(あやぬの) 。 倭文布(しずぬの)

こうして、天皇は蜻蛉(あきつ トンボ)を褒め、この場所を「蜻蛉野(あきつの トンボの野)」と名付けました。

令和6年7月5日(金) 2024

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