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ChatGPTの『日本書紀』英訳 仁徳天皇 21

『日本書紀』仁徳天皇 21

卅一年春正月癸丑朔丁卯、立大兄去來穗別尊、爲皇太子。

卅五年夏六月、皇后磐之媛命、薨於筒城宮。

卅七年冬十一月甲戌朔乙酉、葬皇后於乃羅山。

卅八年春正月癸酉朔戊寅、立八田皇女爲皇后。秋七月、天皇與皇后、居高臺而避暑。時毎夜、自菟餓野、有聞鹿鳴、其聲寥亮而悲之、共起*可怜之情*。及月盡、以鹿鳴不聆、爰天皇語皇后曰「當是夕而鹿不鳴、其何由焉。」明日、猪名縣佐伯部、獻苞苴。天皇令膳夫以問曰「其苞苴何物也。」對言「牡鹿也。」問之「何處鹿也。」曰「菟餓野。」時天皇以爲、是苞苴者必其鳴鹿也、因語皇后曰「朕、比有懷抱、聞鹿聲而慰之。今推佐伯部獲鹿之日夜及山野、卽當鳴鹿。其人、雖不知朕之愛以適逢獮獲、猶不得已而有恨。故、佐伯部不欲近於皇居。」乃令有司、移鄕于安藝渟田、此今渟田佐伯部之祖也。

*「可」は「憐れむ、かわいそうな」という意味で、 「怜」は「思いやりのある」という意味です。 「之」は文法的な助詞で、 「情」は「心情、感情」を指しています。
〔ThinkAny〕

*『日本書紀』における「可怜之情」は、主に以下の2つの意味合いを持ちます。

1. 哀れみ・同情の気持ち

困っている人や弱い立場の人に対して、思わず手を差し伸べたくなるような、深い思いやりや共感を表します。単なる憐憫(れんびん)を超え、相手を助けるために積極的に行動しようとする意志も含まれます。

天智天皇が、海難で漂流していた百済の王子を助け、厚くもてなした様子を「可怜之情を尽(つく)して」と表現しています。
崇峻天皇が、疫病で苦しむ民衆のために、自ら薬を調合して配布した様子を「可怜之情に堪(たえ)ず」と表現しています。

2. 愛情・慈しみの気持ち

大切な人や愛する人に対して抱く、深い愛情や慈しみの心を表します。単なる愛情を超え、相手を大切に守り、幸せにしてあげたいという強い気持ちが込められています。
〔Gemini〕

≪英訳≫

In the thirty-first year, in the spring of January on the 15th day, the elder prince Izaho-wake (later Emperor Richu) was appointed as the Crown Prince.

In the thirty-fifth year, during the summer of June, the Empress Iwa-no-Hime passed away at Tsutsuki Palace.

In the thirty-seventh year, in the winter of November on the 12th day, the Empress was buried at Nara Mountain.

In the thirty-eighth year, in the spring of January on the 6th day, Hata no Okimi was appointed as the Empress. In the fall of July, the Emperor and the Empress ascended to a high platform to escape the heat.

Every night, the sound of a deer calling from the direction of Togano could be heard. Its cries were lonely and sad, evoking pity from both. By the end of the month, the sound of the deer was no longer heard. The Emperor said to the Empress, 'Tonight, the deer does not cry. I wonder what happened.'

The next day, the Saeki clan of Ina County presented a gift. The Emperor asked the cook, 'What is the gift?' The cook replied, 'It is a stag.' The Emperor asked, 'From where?' The cook answered, 'From Togano.' The Emperor thought it must surely be the deer that had been crying.

The Emperor told the Empress, 'I have been lost in thought lately, but the deer’s cries had been comforting my heart. Considering the timing and location where the Saeki clan captured the deer, it must have been the one that cried. They unknowingly killed it, not knowing I cherished it, which is regrettable but inevitable. I do not wish the Saeki clan to come near the Imperial Palace.'

The Emperor ordered the officials to relocate them to Junta of Aki. This is why the ancestors of the Saeki clan from Junta are located there today.

≪この英文の和訳≫

三十一年目の春の一月十五日に、長男の去来穂別尊〔おおえのいざほわけのみこと 後の履中(りちゅう)天皇)〕を立てて皇太子とされました。

三十五年目の夏の六月には、皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)が筒城宮(つつきのみや)でお亡くなりになりました。

三十七年目の冬の十一月十二日には、皇后を奈良山(ならやま)に葬られました。

三十八年目の春の一月六日に、八田皇女(やたのひめみこ)を皇后として立てられました。秋の七月には、天皇と皇后が高台に登られ、暑さを避けられました。

毎晩、菟餓野(とがの)の方から鹿の鳴き声が聞こえていました。その声はもの悲しく寂しそうで、お二人とも哀れを感じられていました。月末になると、鹿の声は聞こえなくなりました。天皇は皇后に、「今夜は鹿が鳴かないが、何があったのでしょうか」とおっしゃいました。

翌日、猪名県(いなのあがた)の佐伯部(さえきべ)から贈り物が届けられました。天皇が料理人に「その贈り物は何か」とお尋ねになると、料理人は「牡鹿です」とお答えしました。天皇が「どこの鹿か」とお尋ねになると、料理人は「菟餓野(のもの)です」とお答えしました。天皇は、それが以前鳴いていた鹿に違いないとお思いになりました。

天皇は皇后に、「最近、物思いに耽っておりましたが、鹿の声に心が慰められていました。佐伯部が鹿を捕まえた時間と場所を考えると、それが鳴いていた鹿に違いありません。彼らは私が愛していたことを知らずに鹿を捕まえたので、仕方がないが、悲しいことです。佐伯部を皇居に近づけたくありません」とおっしゃいました。

天皇は役人に命じて、彼らを安芸(あき)の淳田(ぬた)に移動させられました。これが現在の淳田の佐伯部の先祖の由来です。

令和6年5月7日(火) 2024

鹿の鳴き声(奈良の鹿 Youtube)
https://youtu.be/gqSh68FPSU0?si=ihRC4iGZOgdWsvuG
秋の夜、山で鳴く野性の雄鹿の声はもっと長く哀愁を帯びたものです

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