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自分のためにではなく読者を信じて「書く」を目指す

22歳のころ、僕は「有名人になりたい」と思って、自分のためにブログや新聞の投書記事を書き始めました。


それから福祉事業所でのお仕事や年齢を重ねるうちに世の中のことがわかってきて心境も変化し、30代になって文章のことをちゃんと勉強して「ライターになりたい」と思うようになりました。


僕の「自分のために書く」ときの最大の
ウイークポイントは他者に共感してもらえる内容を考えられないこと。

  • どんなものを書けば喜んでくれるのか。

  • 時間をかけて長文を書いてもコメントひとつも来なかったら悲しい。

  • そもそも僕のことに興味持ってくれるか。

それでも、なんでブログを書き続けるのだろう?


自分にしかわからない内容を投稿するのってどうなんだろう?


という自問自答の日々でした。


今目指しているのは「読者を信じて書く」ということです。

書くことへの心配よりも、どんどん書いて、読者の意見や感想を取り入れながら、新しい記事を作っていこうという気持ちでいっぱいです。


この投稿では「読者を信じて書く」を目指すまでになった経緯を思い出しながら整理していきます。


ようへいの「書く」の歴史

2007年頃(22歳)でブログを書き始めたのが僕の「書く」のスタートです。

芸能人でもないのに
オフィシャルブログと名乗っていました。

↑ブログ第1号の記事(2007年)


理由は有名人になりたかったから


ま、なれないんですけど、ブログのデザインと書く文章だけでも有名人気分を味わいたかったのと、ブログの中だけでもかっこよくいたかったからです。
(いま振り返ると全くかっこよくない😅)


新聞にもこの頃よく投書して、採用されていました。

逆を返せば「有名になることでしか人としての存在意義はない」と思っていたし、「有名になったからといって幸せになるとは限らない」「無名でも自分軸で自分の人生に集中して十分に幸せになった人もいる」ってことにはまったく気づいていませんでした。


ただ夢を見て、毎日頑張っていればきっと有名になれるかもとも思っていましたが、それが決して報われるわけではないと気づいた2015年頃に体調を崩して、ブログを書くことをストップしました。

2015年で止まった2代目のブログ

・・・が、その後はFacebookで身内だけの投稿を続け、「文章は上手いんだし、書くことを活かしていきましょう」という声もいただき、2023年4月から就労移行支援事業所に通所し、障害者と就労についての記事を執筆していました。

その後、2023年5月に、より実務的な経験を積むために、社会保険労務士事務所が母体の就労継続支援B型事業所に転所。


求人広告や広報誌の執筆をしています。

有名人になりたい妄想から始まった「書く」ことが、生計を立てるまでには至っていないものの事業所での大きなお仕事になっています。

ようへいの「書く」の日常


僕は事業所で「書く」ことをしてる割には頭の回転が早い方じゃないし、ポンポン言葉や考えが出てくるタイプではありません。物事への興味もせまいです。
(SNSでK-POPアーティストやドラマのことを語ってる人がうらやましい🙄)


Zoomのワークショップや事業所での昼食会ではそんなにしゃべらないし、生活も同じルーティンが多過ぎて、身の回りに特別こんなことがあったよ、こんなことを言われたよって話題が少ない(もしくは覚えてないか大した事ないと思い込んでいるか🤔)です。


なので日記はつけないし、「いいことリストって効果があるの?明日腹立つことや大変なことが起これば一発でひっくり返されて終わりなのに」って思っています。


ただリスト自体は書くことで、いまの現状を見返すのと、文章をネタから構成するのには役立つ実感はあります。


そして、20代では有名人になりたいと言って堂々と書いてたのに、30代になり書くこと自体が結構恥ずかしくなりました。


それだけ世間のことを知ったということかもしれませんが、もともと自己肯定感が低いので、このnoteのエディターを開けては「いまは人に見せられるようなものをうまく書ける自信ないわ~」ってすぐ閉じることが1日5回ぐらいはあります。


最初から整ってる文章を見せたいと思うあまり、文章はネタから組み立てていくものだというのをすぐに忘れるんですよね。


意外と「こんな文章、だれも見いひんわ」と開き直るか、「心底気に入らへんわ~」って出来事が起こったときの方が気づいたら1000字超えの文章が書けているということがあります。

書き出したきっかけはあふれ


前回の記事に続き、「バリバラ」(NHK)の話になるのですが、2024年5月9日(木)の放送で「わたしのあふれ」というシリーズをやっていました。

トラウマや心の傷を料理、パフォーマンス、ファッション、写真などでいたわるために表現するということなのですが、
僕が文章を書き始めたのは「あふれ」もあるかなって気がしています。


もともと勉強が大嫌いで、読書感想文も一体お話のあらすじを何割入れて、何割感想を書いて、全体的な感想なのか部分的な感想なのか、どんな感想が正しい感想なのって、いまでも思っているぐらいで、大学のレポートも自分の考えよりも文献からの引用の方が多かったです。


なので、むしろ書くことそのものは苦手な方です。


でもスランプに陥ると、すごい書けてスキっとするんだから不思議。

【正月雑感:ライターを目指す限界を 感じていたのに、書くとなぜか元気に😅】 新年2日目からすいません。 実は昨年末から「事業所も含めて、いまのままではライターを仕事にするのはむずかしいな」って考えています。 僕の至らなさで11月ごろか...

Posted by 髙見 洋平 on Monday, January 2, 2023

お正月のおめでたい時期になに長文を書いてるんだって感じだし、悩みごとがいまとあまり変わっていないという😅


そして、発達障害について働きづらい自分について知ってほしいと思いも強いです。


新聞投稿していた20代のころは特にそういう気持ちが強かったですね。

28歳のころの記事

とは言え、いまは「自分が、自分が」では伝わりづらいということを自覚しています。


就労移行支援事業所で初めて「ペルソナ」って言葉を知ったし、だれかに向けて書くかを考えられている文章がいい文章だとはわかっているのですが、だれかに限定するのもまたむずかしくて(この年齢で性別で特性の人向けの文章と固くくくりたくない気持ちがある)もっと意識をしていきたいです。

「書く」で困る質問


どんな場所でも聞かれて一番困る質問に
「今後どんなテーマで記事を書いていきたいですか?」って質問があります。


やっぱり「有名になりたい」とか「あふれ」から書き始めているところがあって、仕事のライティングのやりがいをまだつかみきれずにいます。


ポジティブな「書きたいテーマ」よりも「自分に任された仕事を自己完結できるか」「編集の人とうまくやり取りできるか」の心配にエネルギーをつかってしまって考えられないのです。


WEBメディア出身の編集者さんのnoteを読んでても、ボロクソに怒られて泣いたり、自分の書いた原稿が真っ赤に直されたり、すごい苦労されてるんだなと痛感するし、「有名になりたい」とか「あふれ」とか「心配」とか言ってる自分が恥ずかしくなります。

・・・と同時に僕がそういう厳しいWEBメディアでライターができるわけではないし、自分は自分の意義を見つけていかないといけないとも思っています。

見つけたい「書く」意義とは・・・

では僕の見つけたい「書く」意義とはなにかですが、おそらく「読者を信じること」なのかなと感じています。


「こんな文章読んでくれるかな」「とにかくなんでも書かないと」「編集の人に怒られないように」って気持ちで書いてると、それはすぐに読者の方に見透かされると思うんです。


とりあえず書いてみて「〜がよかったよ」「〜がためになった」「〜がもう少しくわしく書かれていたらよかった」という読者のみなさんの意見や感想をまずは聞いていきたいです。


そして続編で、その意見や感想に応える形で新しい記事をまた書いてみたいです。


普段どのようなきっかけで記事のネタを思いつくのか、記事を組み立てていっているかも公開してみたいですね。


ある程度はトレンドを知ることや、校正の知識をつけるのも書く上では大切ですが、読者の方が自分へのメッセージだと受けとってもらえる文章を書くことを目指します。


今年前半はつまづきが多かったですが、後半は「成せばなる」という言葉にしがみついていきたいです。

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