読書メモ:人類最古の哲学
人類学者 中沢新一氏の講義録。全5冊の第一巻となる本書では、幼稚で子どもじみたファンタジーだとみなされがちの世界の「神話」こそ「人類最古の哲学」であるとする。
現代の我々の「論理」に照らしてみると神話で語られる話は非合理的で荒唐無稽で、原始的な未発達な物語に聴こえる。しかしそこには我々が手放してきた(あるいは価値を見いださなくなった)「感覚の論理」が展開されているという。
感覚の論理とは、見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、味覚で味わったり、皮膚で触ってサラサラやベタベタといった触覚をもったりといった具体的な感覚を素材にして展開される論理です。
人類の未開で幼稚な段階の思考だと考えられていた「神話」には、現代の「論理」とは全く異なる論理展開ではあるが、思考のレベルが決して低次ではなく、むしろ現代の我々の思考を包含するレベルの思考が保存されていると見出したのは、「野生の思考」で知られるレヴィ・ストロースだ。
本書では、人類最古の哲学と称されるだけの価値があることを提示し、そして「シンデレラ」を主要な素材として取り上げるのだけれど、これがとにかく面白い。「灰」や「かまど」が暗に示すものは何か?なぜシンデレラは片方の靴をなくさねばならなかったのか?など、これまで気にもとめなかった要素の中にある哲学的要素を詳らかにしていく。シンデレラから見えてくるのは「生」と「死」あるいは「生者」と「死者」、その間を取り持つものたちの物語。または「欠落」を取り返す物語であるという。
そしてこのシンデレラの物語、実は世界各地に残っているのだというからまさらに面白い。ヨーロッパのみならず、中国や北米のとあるネイティブアメリカンの部族ミクマクにもその様式が見られる。シンデレラの要素や物語の様式は保ちつつ、各地の風土やコミュニティの持つ価値観に合わせて形を変えながら語り継がれているのだそうだ。ミクマクに至っては物質文明を痛烈ん批判する形でシンデレラの物語を自分たちの物語に取り込んでいる。
こうした神話のもつ高次の思考の価値を認めていた人として、菌類学者の南方熊楠も登場する。因果関係を基とするロゴスではなく、縁起的に世界をとらえるレンマの思想を展開した熊楠の眼差しは熊野の山中で粘菌研究に明け暮れるなかで感覚の論理を感得していったのだろうと思う。
都市化されてしまった我々の思考や身体に野生の感覚を取り戻していく入り口として、神話に触れ、感覚の論理によって展開される世界観に身を委ねてみると良いのではないだろうか。
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