読書メモ:日本的霊性

マインドフルネスがシリコンバレーでブームになり、逆輸入的に日本でも取り入れられている。ただ、「マインドフルネスで仕事の生産性をアップ!」というなんとも即物的な文脈に置き換わっていて、本来日本が日本の風土のなかで醸成してきた禅的な思想からは離れていってしまっているのでは?と違和感を持っていた。行き過ぎた「マインドフルネス」が究極の殺人兵士をつくってしまうのでは?というような文章も目にしたり。

「日本」「日本人」とひとくくりにしてしまう危うさはあるけれど、過去を振り返り日本人のもつ世界観、精神性ってどんなものに根ざしているのかを考えたくて本書を手に取りました。

鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち霊性の生活に目覚めたといえる。平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え付けられたものが、大地に落着いて、それから芽を出したと言える。
鎌倉時代における日本的霊性の覚醒は、知識人から始まらないで、無智愚純なるものの魂からであったということに注意したいのである。

平安時代の日本では、季節の移り変わりや花鳥風月にもののあわれを見出し、その心を歌に詠んでいたのは貴族階級だけだった。そしてそこで歌われている内容は表層的で、日本の風土や精神性に根ざしたものではなかった。それが鎌倉時代に入り、禅と浄土思想が社会に根ざしていく中で、貴族のみならず一般の人々にまで日本的霊性が感得され、社会に浸潤していったという。

。先の見えない不安感や拡大する分断、不寛容さの広がりなど、社会が足元から揺れている感覚が拭えない。この令和時代に、今一度この足元を見直して、生き方、あり方という我々の価値観の源泉を見直すことで、日本的霊性2.0とも言うべき態度が立ち上がってくるのではと考え始めた。


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