森吉山

Lifeを取り戻して生きる。スキンディープの奥の奥。

長年に渡りパキスタンやアフガニスタンで医療や用水路工事に身を投じられた中村哲医師。昨年12月、作業現場に向かう道中、凶弾に倒れられた。

痛ましい事件から3ヶ月が経った。そしてこの、たった3ヶ月の間に、新型ウィルスの感染拡大により世界中に不安と混乱が広がりつつある。

薄皮が剥がれた僕ら。

大の大人が真偽も定かでない情報に慌てふためき、互いの思いやりはどこ吹く風で、我先にと買いだめに走る姿にはため息が出る。更には、アジア人の見た目というだけで差別的な言動にさらされる。普段は理性的な表情をしていても、一枚めくってみればさも浅ましいものかと身震いする。思想家鶴見俊輔が薄っぺらさ、上っ面だけの姿を揶揄したスキンディープという言葉がチクチクと思い出される。

とはいえ、不寛容が首をもたげ、世界に苛立ちと不安が募る社会を嘆いていたってしょうがない。かくいう私も海外での事業は小さくない痛手を被っているが、ここまでけちょんけちょんになるとかえって清々しく、肚も座ってくるものだ。
ここらで落ち着いて、今そしてこれからの社会にどう向き合っていくのか、そして自分はどう生きていこうかと考えようと思い、中村哲医師のアフガニスタンでの格闘の日々を綴った『天、共に在り』を手に取った。(中村医師の足跡については書籍はもちろんのこと、西日本新聞の特別サイトに詳しいです。)

後世に何を遺して逝くか。

2003年3月19日。用水路建設の着工式にて『「アーベ・マルワリード(真珠の水)」と名付けた用水路で、毎秒六トンの水を旱魃地帯に注ぐ』と中村医師は宣言した。医師である中村氏が戦火の異国の地で用水路を引くという。その日は米英軍のイラク攻撃の前日であり、現地は日々治安が悪化していく。後には引けない大宣言をした中村医師も「要するに挑戦の気概だけがあった」と述懐する。
この無謀とも思える大事業を始めるにあたって、用水路関係のワーカーに必読書として指定した書籍のひとつが『後世への最大遺物』(内村鑑三)だ。

今を遡ること126年前、明治27年(1894年)に内村鑑三が日清戦争の開戦直前にキリスト教青年会の夏期学校で「後世への最大遺物」と題した講演を行った。全国から集った若者を前にして内村鑑三はこう述べる。

私に五十年の命をくれたこの美しい地球、美しい国、美しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない。

では何を遺して逝こうか。金か、事業か、思想か。そのいずれもが後世に遺すことのできる価値ある遺物である。金や事業を卑しいものとして退けるどころか、その天才がある人は大いにその才を使うべきとまず言ってのけるところに美辞麗句を並べただけの言葉でないことがわかる。

そうはいっても、金や事業や思想を後世に遺すにはそれ相応の才が必要だ。ではその才がない人間は、後世に遺せるものなどなく、価値のない人間なのか?

いや、そうではない。誰でもが後世に遺すことのできる遺物がある。
それは「勇ましい高尚なる生涯である」。金や事業や思想よりも更に貴い、「最大遺物」なのだ。

われわれに後世に遺すものは何もなくとも、(中略)、アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを、後世の人に遺したいと思います。

Life生命を取り戻して生きる。

その「高尚な生き方」を後世に遺そうとした時に、今もっとも足りないものはなんだろうか?
講演の中にこのような言葉がある。

今時の弊害は何であるかといいますれば、なるほど金がない、われわれの国に事業が少ない、良い本がない、それは確かです。しかしながら日本人お互いに今要するものはなんであるか。
(中略)
今日第一の欠乏はLife 生命の欠乏であります。

120年以上も前の言葉が令和の時代に鋭く突き刺さる。

今の時代に暮らすわれわれは、小綺麗に整えられ、過不足なく与えられる日々の暮らしに慣れ、ぶら下がって活きることしか出来なくなってしまっている。それ故に、その日常が少しでもぐらりと揺れると、慌てふためき、これまで気にもとめなかった姿の見えぬ日常の供給者に、我を忘れて喚き散らすしかできなくなってしまった。

僕たち自身が、自らの手で活きる、暮らすというあり方を手放し、システムに全権を委ねたことで、それはもはやLifeの欠けた、ベルトコンベアーの上を流れる大量生産品のようなあり方になっているのではないだろうか。

3.11以降、平和な日常は砂上の楼閣であり、次の瞬間には崩れ去りうることを大きな傷みを伴って思い知ったはず。10年と経たないうちにそのことを忘れてしまったのか。

金や事業というカタチを遺せなくとも、誰もが自分の暮らしに手触りを持ち、自ら生きているという生命=Lifeを取り戻すことはできるはず。

そうして生きる一人ひとりの物語こそが後世の最大遺物だ。

中村医師は用水路事業の成果とそれによって人々が手にした暮らしを振り返り、このように記述している。

それは座して得られたものではない。生き延びようとする健全な意欲と、良心的協力が結び合い、凄まじい努力によって結実したからだ。


こんな時勢だからこそ、人間も自然とともにある生命の一つであることを思い出し、自ら生き延びるための健全な意欲と行動を取っていきたいと強く思う次第です。


<本文で紹介した書籍、リンク>


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