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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#独り言

可能性は無限大かもしれないけれど

「可能性は無限だから」という言葉よりも、「限界までやってみよう」という言葉の方が好きだ。 無限にある可能性を信じて、「誰でも何者かになれる」と信じて、手当たり次第何でも挑戦してみたらどうなるのだろうか。 体力も気力も時間も、限りがある。 たとえ可能性は無限大だったとしても、体力も気力も時間も限られているのなら、その“限り”の中でいかに自分の人生を全うするか、真面目に考える必要がある。 限りがあるからこそ、肩の力は抜いていたい。 無理して、背伸びして、そんな自分を我慢

“感じたものが何だったか”を、振り返らないと

流行りの曲や映画、コンテンツ、流行っているものには流行るだけの「理由」が必ずある。 どんな理由であれ、流行るということは「良い」ということなのだろう。 みんなが「良い」と思うものを消費しようと思ったら、消費する前から「これはきっと良いものだ」と思い込んでしまう。 たとえそれが微妙なものだったとしても、何となくしっくりこなかったとしても、「いや、これは良いもののはずだ」と、どこか自分自身を納得させようとしてしまう場合さえある。 それを「良い」と思えない自分が嫌だからなの

「仕事楽しい?」にパッと答えられない時点で

「仕事楽しい?」 「人生、充実してる?満足してる?」 「順調に進んでる?」 こういう質問に対して、 「“楽しい”って、そもそもどういう状態だ?」 「“充実”の定義って何だろう」 なんて少しでも考えてしまうようなら、きっと満たされない何かがある。 本当に充実していたら、満足していたら、楽しかったら、己の直感が即座に働くはずで、「うん、充実しているよ!」なんて言葉がパッと出てくるのだろう。 いつだって、言葉の定義や解釈、普段難しく考えないようなことを難しく考え出す時は、

考えれば考えるほど、「やってみなきゃ分からん」となるけれど

動いている時間よりも考えている時間の方が長い時、「結局やってみないと分かんないよな」と意外と楽観的になれたりする。 ただ、考えている時間よりも動いている時間の方が長い時、「本当にこれで良いのかな」とか「もっとちゃんと考えた方がいいかな」なんて、あれこれ考えてしまう。 この塩梅だけは、年齢を重ねてもいまだに掴めない。 「やると決めたら信じてやり抜く」、これが難しい。 考えるのも動くのも、いずれも中途半端になってしまう。 「やる」の認識が甘すぎるのかもしれない。 少し

手軽になって失ったもの

パソコンでnoteの文章を読んでいてハッとした。 久しぶりに、じっくり文章を読んでいる気がする 普段、他のクリエイターさんの文章を読む時はスマホを使うことがほとんどだから気づかなかったけれど、最近自分の中で「読む」がただの消費活動になっていた。 何となくさっと読んで、読んだ気になって、気に入ればスキをつける。 その一連の作業、消費活動を、親指だけで惰性で行っていく。 元々それがしたくて文章を読んでいるわけではないのに。 - 様々なモノ・コトが手軽になった。 食

仕事も、やりたいことも、生き方も、変わっていく

何かを選択する時、例えば仕事を探す時、 ・一生続けられるのだろうか ・これが自分の天職なのだろうか なんて考えたりしてしまう。 さも、これから選択するものが“最後の選択”になるかのごとく。 けれど、実際そう思って選択をしても、蓋を開けてみればあっさり転職していたり、「あの時、どうしてあんなに迷ったんだろう」とさえ思うこともある。 仕事に限らず、やりたいことだって、生き方だって、自分自身だって、そのうち変わっていく。 たくさん経験して、刺激を受けて、挫折して、その繰

迷った末の意思決定は、迷わなかった時より強い

日々色んな選択と決断を繰り返している。迷うことは絶えない。 できることなら迷わない方が良い、迷わず選択できるならそれが良いと思っていた。 けれど、案外迷うことも悪くないのかもしれない。 振り返ってみると、過去に迷った末の決断が今の自分を形作っている。 一切の迷いなく決めたことももちろんあったけれど、迷わなかった選択よりも、迷って迷って迷い抜いた選択はその後、力強い意思決定になっている。 そりゃそうか。あれだけ迷ったんだから。 どんな選択をしても、その選択を遅かれ早

大切なものは、失ったとき、より大切になる

大切なものは、失ってはじめて気づく 文章を書くようになって、この言葉と向き合うことが増えた。 実際、自分のnoteにも度々登場しているフレーズだと思う。 大切なものが「大切なものだった」と、いつも失ってからしか気づけなかった。 それは、かなりの苦しみを伴うことで、手元に大切なものを残し続けるには、失い続けることを意味していた。 「得る」とは「失う」であり、「決める」とは「諦める」だと思う。 この先の人生もきっと、得る機会より失う機会の方が多い。 「得る」より「失う

適度なストレスがないと、かえってストレス

つくづく面倒な生き物だ、人間は。いや、自分だけかもしれない。 心の余裕が欲しくて、物理的な余裕が欲しくて、そうやって選んだ生き方だったはずなのに、どうして物足りないのだろうか。 忙しなさ過ぎると自分を削ってしまうけど、あまりにも余裕があると、それはそれでかえって満たされない。 何もせず過ごす日曜日と、何かしら予定が入っている日曜日。 前者の方が充実するような、そういう感覚。 例えば、責任があると期待やプレッシャーに押しつぶされそうになるけれど、その分やり切った時は何