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#余白 #ひと休み

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深呼吸。
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#人生観

長い人生を短い時間軸で生きてしまう僕らは

ふとカメラロールを開いてみると桜の写真でほとんど埋め尽くされていて、一瞬「今年の桜も綺麗だったな」なんて心が動きかけたけれど、「最後の写真が桜だなんて、普段写真を撮らなさ過ぎだ」という呆れと、予想外の暑さで滲んだ額の汗が、自らを現実に引き戻す。 奇しくも、いや、これはある意味現実逃避なのかもしれないけれど、余裕がない時ほど「あいつは今頃元気にしてるかな」なんて考えてみたりする。 あいにく、それをすぐに確認できる術もなければ、確認できる次の予定も決まっていないのだけれど。

自分さえ知らなかった未来に今自分はいる

階段を右足と左足で交互に、リズミカルに降りていくように、日々何かが心に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。それを言葉にする暇もなく。 言葉にしたくなかった葛藤。 言葉になれなかった苦悩。 言葉にすべきだった恋心。 そういうものほど案外消えずにずっと残っていたりするわけだけれど、消えてしまったことさえ思い出せないような感情の方が、きっと多い。 何かを忘れたり忘れたことさえ忘れてしまう、失くした分だけ拾っていく、人生とは意外とそういう繰り返しで、どれもが刹那的だ。 後に

マラソンのような人生があるなら、散歩のような人生もあって良い

人生はマラソンのようで、マラソンでない。 みんな同じゴールに向かって走るわけではないし、優劣もつかない。 人の数だけゴールがあり、ゴールの数だけ道もあって、ペース配分は人それぞれだ。 「そもそも走らないといけないのだろうか」 スタートの合図とともに走り出さないといけないのだろうか。 走るペースが人それぞれなら、そもそも「走らない」というペース配分の仕方もあるはずだ。 「人生はマラソンではなく、散歩だ」 マラソンのように走っていたい人もいれば、のんびり散歩していた

「あなたに出会えたから」と言える、キミがすごいだけ

そう言われて、全く悪い気はしない。むしろ、すごく嬉しい。 ただ、そう解釈したのは紛れもなくあなた自身で、過去の出会いや経験、それらをプラスに変えて行動できているのも、紛れもなくあなた自身。 あの時、たまたま自分と出会って、たまたま自分が話を聞ける状況にあって、たまたま思い浮かんだ言葉を伝えただけで、あなたがうまく受け止めてくれたから。 * 人のことをどこかあまり信用していなくて、自分に対してもあまり自信を持てていなくて。どこかで使い古された言葉じゃ、決して心は動かなく