ダルマを生きる最初の一歩

私たちは毎日ダルマを行う

純粋な思いを感じて、それを具現化する(形にする)活動をしている

こういうときはできる
こういうときはできない
・・・があるかもしれないが、毎日純粋な思いを感じながらダルマをしようとしている

(例) お店をやっている人
お店でお店の仕事としてやっているときに
「私は純粋な思いをしっかりとあらわすことができている」と感じる人がいる
そういう人も、いざ自宅に帰ったとき、自身のダルマをあらわしているか?
感じてみよう

仕事、自宅、それ以外でも人と接する場面はあるだろう
そのようなとき、ダルマをあらわしているかどうか(ダルマを行っているかどうか)を感じてみよう

↓ つまり、
純粋な思いには枠がない
「枠」= 自我・相対・時間
時間の枠がないので、いつでも純粋な思いを感じることができて、純粋な思いをあらわすはず
相対の枠がないので、何が良い/何が悪い という判断に基づいて行われるものではない
自我の枠がないので、「私が」好きだから/「私が」好きじゃないから の区別がない

その先に「私」= 自我を手放した状態の純粋な思いがある

↓ つまり、
本来ダルマはいつでも行っていておかしくないことである

「いま仕事でダルマを行っているが、家では行えていない」
「○○さんにはダルマをあらわせるが、こういう人にはあらわすことができない、難しい」
ということが「いけないことだ」と言っているのではない
それに気づくことで自分がどのような枠の中で活動しているのかが分かる
「枠」に気づくことがとても大切なことのひとつ
↓ そして、
自分が
進化
浄化
幸福の拡大
・・・を目指して、そこに向かって歩いているのであれば、「手放す」をさらに進めていく
↓ 
それが進化や浄化に進んでいくための道である

まずは「気づく」
ダルマを行うことで自分の「枠」に気づく

それが最初の一歩

 / 2021 / 12 /17


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