普遍意識には区別がない

私たちは目を瞑ったり、瞑想等の実習をして一度「自分」から離れる
普遍意識( = 光)を体験する
その後、自身に戻ってくる
こころが創造され、
からだが創造され、
外側の世界が創造され、
再び日常の活動に戻る

どうして私たちは「戻ってくる」「創造する」こころやからだを間違えないのだろうか?

「私」は毎回「私」を創造している
― これはなぜか?

普遍意識、
こころ、
からだ はタテに並んだ雪だるまのような図を考えたときに、
上(からだ)から
こころから 見ていくと、人を区別するのは簡単である

からだに特徴がある
(例) この人は男性/この人は女性
背が高い/背が低い
何歳
どんな形をしている

ここにも区別がつく
↓ しかし、
普遍意識から見たとき、そのような区別はない
普遍意識の側にはそのような区別がない
もし、区別ができるものがあると感じたとしたら、それは全て相対界のもの

これは普遍意識の側の特徴だと思う何かがあらわれているとしたら、それは実際には相対界側にあらわれた何か
↓ つまり、
普遍意識の側から何かを区別する ―は本当はできない と思える

↓ 話を戻すと・・・
「私」は毎回「私」を創造している
― ここに生命の個別性がある
自我 =個別性に自身が同化していること =「わたし」という感覚
同化する前の個別性がそこにある
人は個別性をもってこの世界を創造して、この世界で自身の内側を外側にあらわしてまた戻ってくるものを受け取る・・・その毎瞬間の創造を繰り返している

 / 2022 / 04 / 12

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