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古甲州道、戸倉は西党一派小宮氏だらけだった!!!

前回の五日市では、五日市は、西党一派平山氏だらけだった、しかも、1191〜1569年の間、ですから三次元的に、と、お話しました。

今回はその先、戸倉です。

佳月橋から城山を望む

この写真は前回五日市をexploreした時に撮ったものですが、奥の山頂が独特の形をした山が城山です。

その名の通り、城があった山で、その城は戸倉城です。

1457〜60年に、小宮上野介憲明が築城したとされています。

この小宮氏、西党一派です。

この戸倉城の麓に神社が幾つか鎮座しています。そこを巡っていきましょう、まずは、盆堀川を遡った所にある、ですから城の南に位置する、その名も小宮神社です。

小宮神社

鳥居の後ろに杉の巨木が鳥居のように立ってますが、正に元はこれが鳥居だったのではないか、と、思います。

創建詳らかならず、も、平山氏の一族、高橋氏が創建との伝承があります。高橋氏も西党一派です。

また、ここは小宮という地名ではないんですが小宮神社という名前なので、高橋氏ではなく小宮氏なのではないか、とも、想像出来ますね。

次に行きましょう、城の東に位置する戸倉三島神社です。

戸倉三島神社

958年創建の古社で、戸倉城主小宮憲明が崇敬と伝わります。

戸倉三島神社から振り返って戸倉の眺望、その先、五日市も見渡せます。ここに建つ意味が分かりますね。

先を行きます、城の北に位置する神明神社です。

ここも杉の巨木の鳥居

1236年、小宮直家勧請、後、小宮憲明再建とのこと。

まだあります。神明神社より更に北に位置する白山神社です。

白山神社

1349年創建、1459年、戸倉城主小宮上野介憲明が再建ということです。

はい、戸倉城があった城山周辺の、小宮神社、三島神社、神明神社、白山神社は、何れも、戸倉城主、日奉宗頼を祖とする西党一派、後に武州南一揆となった小宮氏所縁の神社でした。

五日市は平山氏一色でしたが、その西隣の戸倉は、同じ一族の小宮氏のエリアだったようです。

先を行きましょう。星竹橋で秋川左岸に渡って古甲州道から離れまして乙津の集落に入ります。

1394〜1428年の応永年間に小宮上野介憲明が創建との伝承がある八幡神社です。

ここにあるの?!という所にあります

先を行きましょう、直ぐ西にある春日明神社です。

春日神社

八幡神社と同じく1394〜1428年の応永年間に小宮上野介憲明が創建との伝承があるようです。

戸倉のみならず、乙津も小宮氏の支配地だったようですね。

改めて地図を見てみると、ここは戸倉城の西で、これで、東西南北カバーしたことになります。

如何でしたでしょうか。

五日市の先、戸倉は、西党一派の小宮氏だらけでしたね。

つくづく、西党は、古甲州道に沿って、発展していったんだということが分かります。

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