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記憶、事象、解釈、桜もち。

誰だって
辛い過去がある。


思い出したくない過去がある。


肉体にアプローチするということは、
時に残酷で
そこに向き合うことになる。


なんでか、、
ふと思い出すのです。


アイツノセイデ、、
アノバショハ、、
アンナコトサレタ、、


私たちは過去の記憶を
断片的に覚えている傾向がある。


動画ではなく
写真機能のように。

女性は言葉とイメージで覚えていたりする。
男性は体験と感覚で覚えていたりする。



そこに付随する思いが
よい、と解釈したものなのか
わるい、と解釈したものなのか

私たちの記憶には
パターンがあります。


記憶も習慣的である。



記憶とは何か

目で見たものそのものの記憶

それはつまり画像、事象、表象

でも、画像は記憶ではない



どう感じたかという解釈



事象・表象と解釈


解釈こそ
記憶の本質ではないか



画像
そこにあるモノ

そのものの形


認識にはクセがあり
これを個々それぞれの解釈と経験を持って
判断する

そして環境で得た経験により
これは〇〇である
と、決める。


左の立てかけてあるやつは?

赤い布?
絨毯?
筒?
巻物?
ヨガで使うやつ
ヨガマット?
ルルレモン?

ここには
用途
名前という概念が加わる


何に使うもの?
どこで使うもの?
どうやって使うもの?
誰の?


自分がみたこともなければ
その方法を自分の過去の経験から考えて
こんな使い方ある?
こんな使い方はどう?
と、表出する


真ん中のやつ

観葉植物?
草?
木?
かざり?
緑色の。。
植物?
葉っぱ?
モンステラ?


あなたは
どの細分化されたレベルで
判断するのだろうか


YOGAという字も
字と認識して初めて
文字の意味がそこに生まれ
音が生まれ
意味が生まれる


そもそもそこ意味はない


つけたのはヒトであり
ヒトが解釈をつけた

アナタが、それに
意味をつけている


そう、
すべては概念であり
解釈である


概念にいいもわるいもない


そして、それは人によって100%異なる


過去の経験値は皆違い
その組み合わせによって
解釈が異なる


だから、
人の数だけ違う


そして
経験値の数だけの母数があっての
組み合わせになるから
結果そこに生まれるものは
100%異なるのですね


絶対に同じものはないし
絶対に同じ解釈はない

だから
結果、人と人は
分かり合えることはない

のが前提にあります。


が、
この文化的な背景を含むので


似た人


が必ず生まれます。


文化という制約が
日本に生まれたからには存在します。


価値観
と呼ばれるものができあがる


日本人なら、、



と、口にしたことがない人は少ないでしょう


日本に生まれた


だけで、
すでに大きな制約をもち
生まれたことになります


すべては概念と解釈



どんな記憶にも

本来そこにあった事象には
意味がありません


そこにどんな色付けをしたのか



それを理解することが
トラウマから解放される一つのヒントとなると
どこかで解釈しました^ ^



今日の一言

そこになんの意味もない
あるのは、後付けした解釈である


桜もち

と言えば、、



ピンク
桜色
甘い

あんこ
春の風物詩
道明寺粉
桜の葉
葉っぱ
むにゃっとする むにゅ? もにゃ?
食べれないヒトいる
好き嫌い多い
ほなみ堂
日本一桜もちが好きな女 田中敦子(ここはわかるヒトだけ、、笑)


ごちそうさまでした💕

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