Movement!
心が動くとき。
それは、木漏れ日をこの目で確かめたくてサングラスを外す瞬間に類似する。
それは、肌に纏う潮風のドレスであり、それは、スマートなグラスの中で踊るシャンパーニュの泡。
それは、あなたの唇を前にそっと瞳を閉じるときに似ているし、
それは、世界に一点しか存在しないアートの前で息を呑む瞬間である。
そして、花束を抱き抱えて笑うその笑顔を見れたときのような何かでもある。
キリが無い程に溢れてくるこの瞬間は、恋なのか愛なのか、果たして運命なのか…。
朝、カーテンを開けてお天気を確認する必要が無いほどに晴れているLAだけど、今日は珍しく曇っていて、そんな時ほど心は動きやすかったりする。
こんにちは。
"愛しか知らない"asukaです。
私は実は、静かに心が動く瞬間が好きだ。
それは、冷静に自分自身の感情を覗くことができるし、些細な少しの揺れもキャッチしやすいからだ。
こんな事を言うと外野がうるさくなりそうだけど、正直笑いたくも無い瞬間に笑ったりしないし、同情を買う様な場面や表面的な言葉達に、感情を移入したりしない。
みんなが笑っているときに、輪の中で一人泣いていたりするし、みんながフロアで踊っている時にスルッと抜けてカウンターでひとり飲んでいたりする。その逆も然り。
この様な天の邪鬼な動きをすると思いきや、ある時は輪の中で一人ひとりの繊細な目の動きや仕草、言葉の裏に隠れた本当の気持ちをGPS機能並みに詮索してしまいそうになったりする事がある。
大体そう言う時は、普段お喋りが止まらないこの私が口を瞑りサイレントモードに徹している。
普遍的に移り変わる他人の気持ちには、言葉が追いつかないからだ。
自己分析と言う信憑性に欠けるグラフによると、
私は目の前に起きている現実と自分の心との距離感やギャップを感じ易いタイプのようだ。
その、ギャップに耐えられない癖のせいで集団の中においては、たくさん迷惑をかけてきたと思うし、きっと自分勝手な人(良く言って、自由な人)だと周りには思われてきたと思う。
私がこれまで心の動きを省エネモードに徹してきたのは、本当の心が動く瞬間を見逃したく無いからだった。
だけど、そんな事をぼやいている内に段々と心の動きが弱ってきたように感じていた。凪いでいる状態というのは一見するとPEACEでもあり、またある意味では人生そのもののバイオリズムを抑制しているようにも思えてくる。
心が動く時
"自己意識"という敏腕パイロットにすら操縦不可能な飛行機のようでもある。
それは自分自身ですら触れられない領域だったりするかもしれない。
だけど人の恒常性機能は、簡単には錆びたりしない。だからこそ、そのシステムのおかげで今此処に生きていられる事も事実である。
正直、"弱くなってきた"と言う表現が正しいか分からないけど、何というかとにかく!力強く波打っていた心音の波がとても緩やかになっている事に気づいたのだ。
好き勝手に飛び交う自己主張をここLAで浴びまくりながら、生命力的な光が私の心を刺してくる日々を過ごしている。
また自身の体験の話に戻ってしまうのだが、
私の青春はヨガと共にあった。
インドにも長らく行ったし、瞑想のクラスをガイドする事も、森の中のアシュラムでぽつんと座り、瞑想をする時間もとても好きだった。
正に静けさの中で美しい森の中に存在する泉の水が湧き上がってくる様なムーブメントが、そこには確かに存在していて、それはその特別な森を見つけた人にしか見えない、聞こえない、触れられない、不思議な幸せや感動のカタチがあった。
だけど、私はそれと同時に自分という海を凪にしていく癖がついてしまっていたと感じる。人生にヨガの叡智を活かしきれていなかった。
それは、紛れもなく自分自身の過ちだった。
また今度はその違和感を埋めるために、ヨガを辞め瞑想を辞めた。今でも生活に取り入れることはあるが、人生がヨガ哲学に埋めつくされることは二度と無いと確信している。
話しを戻すが、LAに引っ越してきた時、正直この国のこの街に何の感動もないと感じていた。(その時点では、という意味で現在は違う)
LAに訪れるのはこの引っ越しが初めてだったにも関わらずだ。
何故か、些細な事に感謝の気持ちは溢れても、
良い意味でも悪い意味でも、何を観ても、何に触れても、なんとなく想像を超えてくることはなく、ある意味、何かにあまり期待も持たない性格の為、期待を裏切られたらなどとも感じることはなかった。
ただ、日本の延長線上に立っていると感じた。
"既に知っている"そんな気になって、自分を慢心していた。
でも、それが間違っていたなぁ。
と思ったのは英語が身近になりこちらの人々との関わりが増えて行く中で、物事に対する捉え方の違いや、表現方法の違い(言語も行動も、もちろん文化も含む全て)に触れて行く中で、
それは日本の延長線上とは違う、別のベクトルの上に立っているんだ!
という事が、2層になって運ばれてきたエスプレッソとミルクがアイスと共にグラスの中で混ざっていくようなスピードで解ってきた。
変化というのは、本当に面白い。
私は淡い色が好きだけど、そこに暫く微睡んでいると自分好みの筈なのに、突然吐き気を催す。
パキッとしたエッセンスカラーがそんな時の私の救世主だ。
心が動くとき
改めて
それは、どんな時だろう。
人それぞれ違うだろう、ということだけは分かる。
心のムーブメントを楽しむには、感じたままにその刺激をキャッチする勇気と、強さと、真っ直ぐさが要るように私は思う。
続く晴れの中に突如襲ってくるスコールも
続く雨の中、一瞬だけ覗く晴れ間も
感動といった意味でのギャップに違いはあるのだろうか。分からないけど、どちらでも良い。
私は心の凪にぷかぷかと浮かぶ方法は、自分なりに手に入れたつもりだ。
今度は大波を物ともせず乗りこなす術を、どうかこの土地で学びたい。
台風が近づいて大荒れの天気の中、お天気とは裏腹に、どうしてか嬉しくなって心が躍っていたあの頃みたいに。
続く晴れ間に、突如襲ってきたスコールから屋根の下に逃れる事もせず、ただ空を見上げて全身でスコールを浴びる心地よさを知っている人になれたらいいなぁ。
心が動いて、身体が動いて
カラダが動いて、運まで動いて
それが、恋でも愛でも、運命でも、何だって良いじゃない。
自分は知らなくても、ムーブメントは知っているはず!とにかく動いていこうよ!
今はそんなムード♪
確か、天空の図もそんな雰囲気だったかな。
そんな今、最後に伝えたい言葉はこれに尽きる。
私たちって、泣いてる顔も、怒っている顔も、笑っている顔と同じくらい可愛いみたいだよ!
そんなの、誰かが言ってくれなきゃ分からないよね。
甘い言葉を囁いて気分を上げてくれる紳士には軽くウィンクを♡
そして
どんな時も神々しい、熱く生きる女神たちにはシャンパンを、私から♡
2022もありがとう。2023も愛しか知らない。
asuka.
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