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しま暮らし~その三

瀬戸内の島に移住して9年目。思い起こせばで綴る、しま暮らし・・

島に来て最初のお盆はひっくり返ってしまうくらい驚いた。なぜって、普段ひと気のない通りが人だらけ。みなどこかへ向かっている・・暑さの引いた夕方に全員集合だ!

墓場で。

共同墓地は里帰りした人たちで溢れかえる。懐かしい顔を見つけてはおしゃべりを楽しむ、墓場は再会の場でもあるのだ。お坊さんが到着すると、一軒一軒、お経をあげながらお墓を巡る。提灯の灯りの中、お経のBGMにあちらこちらの会話が乗っかって、墓場がちょっとした社交場になっている。お坊さんが自分の家のお墓に近づいてくると、スッと抜ける。誰かが教えてくれることもある。「もうすぐ、おまえんちだよ」と。

お経をあげてもらって、友達との挨拶も済んだら、盆踊りへ。私が住んでいた東京の地区にも盆踊りはあった。踊る、というよりは出店に魅かれて毎年行っていた。ハリで型を抜いていく型抜き(これが結構、むずかしい)や文化フライ(小麦粉を草鞋型にして揚げたもの)が大好きだった。どんなお店が出てるかな~と思いながら会場へ・・

がしかし、ここでも私は大いに驚くことになる。この島の盆踊りに出店はない。出店はないが、机がある。会場の片隅に机があり、その年初盆を迎える方々の写真が飾られている。目的は、踊ることであり、御霊を慰め皆で見送ることなのだ。お盆は家族、親族だけの行事ではなく、地域の行事なのである。地域まるごとが家族のようなもの。みんななんでも知っている。盛大に踊り、愉快にしゃべる、そんな賑やかな夜を経て、これなら御霊は安心してあの世へ行けそうだと思った。これが、本来の盆踊り、それを目の当たりにし、ばかに神妙な気持ちになったことを覚えている。

そもそも実家のお盆は7月で、迎え火と送り火だけは母が続けていたので知っている。火をつける段階になると呼ばれ、火の上を飛べと言われる。3回ほど飛んで、それで我が家のお盆は終わる。盆踊りは、また別の話しになるわけだ。しかしながら、すべてが一連のことだったのね。お盆という舞台の第一幕、第二幕のように、家族、親族、友人、近所すべてを通して初めて、お盆が成立するのね。

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今年は今までになく閑散としたお盆だった。閑散とともいえないな、なぜなら大雨で外に出れなかったから実際のところがわからない。ただ、盆踊りも夏の花火大会も早々と中止になっていた。

またいつか書くけれど、ここではお葬式もそうで、死は地域で送る。そのため、回数も多い。回数の問題でないのは承知してる。けど、やっぱり都会よりも死が身近に感じられる。恐れることでなく、そういうものだということを幼い時から目の当たりにして育つ。墓場もそう、暗い場所ではなく、みなが集う場所。地域が作り上げてきた慣習が、合理化されてきてるけど、今も生きている。これ、結構、重要なことだと思う。

来年は、みんなが気兼ねなく帰って来ることができるようになっていることを祈ります。




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