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妄想とネガテイブスパイラル

あくまで私の印象ですが、ヨガとは、体を動かしてヘンテコなポーズをとること、と思われている方が多いと思います。よく、何かのきっかけで、
「わたし、ヨガ教えています。楽しいから是非クラスに一度参加されませんか?」というと、
「あ、私ヨガができるほど柔軟でないし体力もないんで、、、」
というお返事が目立ちます。

この様な言葉が出てくるその裏には、ヨガ=あの軟体動物の様なポーズをするには、柔軟でなければいけない。そしてなんだか知らないけど、みんな力強そうな肉体しているから体力なくちゃダメなんだな。

という様な考えが無意識に浮かび上がり、心にstopをかけてそれを現実化させて”拒否”という形になるのだと思う。


この様な反応は、私たち人間にとって非常に重要な能力であって、危機感を察知する能力、すなわち生き延びる(サバイバル)という事に関係している。(この場合は、無理なことをして怪我をしない様にという意識)この能力がなければ、私たち人間がここまで長い間生き延びることはできなかった、とも言われている。

が、しかし、この意識構造の実態を知らないばかりにサバイバル意識に振り回されたり支配されたりして、私たちの可能性を狭めていることもある。

そしてこのサバイバル意識が活発化されている時は、脳内には常にアラートが鳴り響いている様な状態で、コルチゾールというストレスホルモンが分泌される。そうなると、呼吸は浅くなり、心拍数は高くなる。その状態が続くと、体は硬直し、やがて無感覚へと陥っていく。(ちなみに、体をプルプルって震わせたり、変な踊りすると、この硬直状態から脱出できます)


今、一般的に認知されているヨガとは、アーサナヨガ(体を動かすヨガ)であり、これはヨガを達成するための一つの学習に過ぎないということは、あまり知られていないのではないかと思う。まあ、先生方の中でもこれに近い認識の方々も多々いらっしゃるので、無理もない。

アーサナヨガに並んで非常に重要だと思うのが、ギヤーナヨガ(知識のヨガ)=ヨガ哲学、また道徳心を学び実践することだと私は思っている。もし、身近になんでも相談できる様なグル(師匠)がいないのであれば、パタンジャリ先生のヨガスートラや、バガバッドギータなどの教典や聖典を学ぶことによって、知識のヨガの学習ができる。また、聖者と呼ばれる、ヨガを伝道してきた人々がこれらの経典などについて彼らなりの言葉で説明してくれている本も多々出版されているので、そういうものも合わせて読んでいくと、教典や聖典には、抽象的に描かれている言葉にもしっくり合った意味が見つかると思う。



さてさて、ずいぶん長い前置きでしたが、”妄想”というものについて、ヨガ経典は言及している。

妄想については解説は、私たち人間には、考える という知恵が備わっている。その考えには 「5つの機能がある」ということから始まります。
その5つの機能のうちの一つが、妄想(想像、imagination)だって。そして、妄想という機能は、私たち人間に苦悩を与えるものだということで、この妄想を正しく対処するのが、ヨガの学びの一つでもある。私的には、ヨガの学び=幸せへの道 なんで、これを暗記してテストに備える、とかそういうものではないんですよ。これを知っていたら、無駄なことにエネルギーを消費しなくて済む=幸せじゃない?って感じで捉えるのが、ヨガママ恵美です。


さて、この妄想ってやつをもう少し解体してみることにしましょう。

とある本には、妄想とは、『言葉はあるが実態がないもの』と記されていた。これを読んで私の頭に浮かんだのは、ベッドの下のモンスター。アメリカの子供たちは、”恐れ”という感情を認識する年頃になると、自分が寝ているベッドの下にモンスターが住んでいて、寝ている間に食べられちゃうんじゃないか、とかっていう妄想を膨らませる時期がある。そんなことをテーマにした子供向けのお話もあったなあ。

先に記した妄想についての解説について、さらにこの様な文章が追加されていた。真実を知らない無知の上に想像した自分の主観が投影され、混乱が生まれる。覆われた真実の上に狭い想像をのせて人は自らを歪め、世界を誤解し悩み苦しむことがある。 

私たちに苦悩を与える考えの一つがビイカルパ(妄想、想像、immagination)だと経典には書かれています。想像や妄想が疑惑を生み、迷いや葛藤を生み出していると、いうことですね。なるほど。



ここからは、私が普段の修行(学習、練習や教えること)を通じて分かったことです。

妄想によって生まれる苦悩というものを考えてみると

卑下(humility)、批判(criticism)、不安(restless)、心配(anxiety)、恐れ(fear)、怒り(anger)、悲しみ(sadness)、企み(twist)、妬み(jealousy)、憎しみ(hatred)、後悔(regret).

見事にネガテイブワードのオンパレードですね。

これらは感情ですよね。ではこれらの感情が私たちの心を覆った時に起こる感覚とはどんなものか?

痛み(pain)、寒さ(coldness)、無感覚(numbness)、(言葉が)詰まる(chocking)、重い(heavy). 

最近私の心を掴んで離さない、波動の観点から見ると、これらの感覚はほぼ低い波動を発します。波動とは、字の如く 波の動き。(日本語というのはつくづくうまくできているなあ、と感心するばかりです。)波は、同じ方向に進めば進むほど大きくなっていきます。
妄想というのは、思考が一方方向に進んでいく特徴があり(私の経験から)、思考が進めば進むほどネガテイブな考えが盛り上がってしまうのです。
最初は、ベッドの下のモンスター、という発想に過ぎなかったのに、やがて角が生え、牙を剥き出し、食べられてしまう、とか、そんな感じでね。分かるでしょ?



そこで、経典に書かれた真実というものを知ることが、私たち人間から苦悩を取り除いてくれるのだということです。

その真実とは、これらの妄想から生まれる感情や感覚が私である、というのは真実ではなく、真実の私たちというのは、その様な感情、感覚を見つめる存在(
being)である、ということ。

私たちは宇宙に広がる空であり、空にふっと湧いて浮かび上がる雲や雨、嵐などが感情や感覚である。これら雲、雨、嵐などは、やがては消えていく。その背景には常にどこまでも広がる、変わることのない空が存在する。その空こそが私たちなのである、ということ。それを知ることで、私たちは、妄想の罠に陥ることはない。

なるほど、深いですねえ。でも面白いですね。だからヨガが大好きなの。

Sat Num


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