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磨いても、磨いても。

本日は、旧正月の前日。
大晦日と同じように、また水回りを中心におうちをきれいにしました。

そんな折、前からどうしてもやりたかった。
だけど重い腰が上がらず放置していたやかんを磨くことにしました。

それは、月兎印の琺瑯やかん。
黒いせいか、いつも熱くなりすぎてしまいます。
そして、隣の油汚れがなぜか吸い付く、吸い付く。

油汚れを放置しすぎて、別物素材のようになってしまったやかんを磨き、新品のようにピカピカにしました。

ひとつのものを、時間をかけて丁寧に磨く。
磨いたところも、また通ればさっきキレイにしたはずなのに、また気になる汚れ。
何周も何周も、やかんを回しながら、観察し、丁寧に磨いていく作業は、私たちの心を磨く作業にも、とてもよく似ていると思いました。

自分ではもうクリアにしたと思っていた過去の後悔やトラウマ、その周辺をもう一度振り返れば、また小さな曇りに出逢います。
その小さな曇りに気づき、磨き、また次の場所へ。

何度も何度も確認し、きれいになったやかんは、また使い始めることで、新たな曇りをいとも簡単に作ってしまいます。

そう、日々の何気ない行いが『業(カルマ)』という曇りを作り、また私たちはその業に気づき、ひとつづつきれいにしていくことが、輪廻転生と呼ばれ私たちの生きる意味となるのだと思います。

私の周囲には「自分のカルマがわからない」と言う人もいます。
しかし、私はカルマは探しても見つかるものではないと思っています。
なぜなら、そのカルマを探す行為自体がエゴであり、またそこに新たなカルマを作ってしまう。
エゴから発生する行為は、肉体、マインドからの欲求であり、魂の声とは違うと考えています。

実は、物事はとてもシンプルで、わたしたちにできることはまず、自分を曇らせているものを磨く。
その先に気づきがあるものです。

悩みはいつも、欲求から生まれるエゴ。
そのエゴを取り除けば、『できること』は限られてくるはず。

地球という物質世界で、日本という豊かな国に生まれた私たちは、特に社会とのつながりが強く、欲張りになってしまいます。
それくらいの業を消化できる可能性があるからこそ、ここ日本に生まれたのではないでしょうか。

曇りのない状態で、毎日コツコツと同じところを磨き暮らすのも良いですが、こればかりは性格や適性など個人差があるものだとも思います。
曇りはどうしても溜まりますし、無理をして毎日磨くことはまたそれはマインドからのエゴであり、またカルマを作ります。

大切なのは、自分自身が自然体で心地よく暮らすこと。曇りは貯めても良いものだと諦め、また気が向いたら磨こうと思います。
その気が向く、が、毎日になるかもしれませんし。

新たな気づきを与えていただいた、旧大晦日になりました。
みなさんも、明日までにできれば水回りのリセットをしてベッドに入られるといいのかなと思います。

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