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アメリカでのインターネットお見合い


 私の”売り”は料理の得意な優しい日本人女性。
 いよいよビザも切れそうになって、日本に戻らなくてはならない時が近づいて来ていた。その時、アメリカの友達がやってくれた事は、どちらかと言えば苦肉の策。インターネットお見合いの登録で結婚相手を探す事。多くのサイトがあったが、私が使ったのはMatchi.comだった。
どうしてもアメリカに留まっていたかった私は、最初は日本料理を教える教室を開くプランで事業計画を作成し、ビジネスビザを申請した。しかし、計画が緩かったのか結果、リジェクト(reject)。それではと、どこの国にも存在するイージーな方法、つまりアメリカ人と結婚する方法に方向転換。まずは友達のビルに結婚を頼んだ。しかし、
「I am not ready to marry.(まだ、結婚するつもりはない)」
と、あっさりと断られてしまった!
 アメリカが好きだったし、ある年齢以上の女性には自由を与えてくれる雰囲気が漂っていて、モテ期到来の予感もあったから、それならインターネットお見合いだ、と自分を納得させた。2004年頃のアメリカでは既に、インターネットでの”出会い”は盛んと言うか、全く普通の現象で、”卑屈になる”要素がなかったのも背中を押してくれた理由の一つ。
 日本も昔は若くて未亡人になったりすると、周りが相手を一生懸命探してくれるという風習が存在していた。まあ、一種の善良なおせっかいだ。アメリカ人は個人主義に見えて意外におせっかいな部分がある。放っておけないと思うのだろうか?アメリカ人の友達カップルも心配してくれ、友人の独身のアメリカ人を紹介してくれ、加えてインターネットお見合いも勧めてくれた。
 アメリカでは半数以上のカップルが離婚する、そして、再婚しても、また、何故か離婚する。結果、幅広い年代の独身の男性が大勢存在する事になるのだ。そして、根本的に人生は”誰かと分かち合う”ものと思っている様で、したがって分かち合う相手を常に探している。夫婦やカップルであればいつも会話楽しみ、意志を通じ合わせる事を非常に重要視している。さらに、一人でものを考えて決断すると間違った方向に進む傾向にあるため誰かと意見を交換するのがとても大事、と思っているようだ。そして、一人になってしまった場合は日本人より寂しがり屋が多い気がして、基本、パートナー探しには熱心で、努力を惜しまない。また、人間、刺激が大事、刺激は若さ保つ秘訣とも言われている。最近は日本でも“触れ合う”のはシニアにとって大切な事、との風潮が強くなっているが、まだまだ重要視度は低い。それに比べてアメリカのシニアは外でも見つめ合い、ハグをし、手をつなぎ、アツアツ。そんな情景でも誰も見もしないし、気にもしない。もし、シニアが同じ事を日本でやったとしたらかなりの度合いで注視されるに違いないから……まあ、無理!
 さて、そのインターネットのお見合いの方法は?
 ネット上の英語の書き込みはアメリカ人の夫を持つ日本人の女性が受け持ってくれた。顔写真を載せるか?載せないか?は選択自由なのだが、”美系”に縁の無い私は顔写真の掲載パス。そのためか?何通もの申し込みが来た。
 先ず、選んだ相手とメールのやり取りをし、日時と場所を決める。数通の申し込みの中から最終的に選んだ男性は、4歳年上の白人の元中学の校長先生だったが、経歴のみで写真は載せていなかった。
 いよいよそのお見合いの当日、心配した友達夫婦が検証のため同伴。その50歳代の友達夫婦は、ご主人は大手の弁護士事務所の主席弁護士のアメリカ人、奥様は可愛い1/4フランス人の血が混じる日本人女性。事前の打ち合わせで、もし、ダメそうだったらテーブルの下で指を使って「×(バツ)」を出す、だった。
 イタリアンレストランで待っていた私達の前に現れたのは白人で長身の男性だった。
「Hello, are you Ms. Hinako?」、と彼。
「Yes I am.」と私。
「Nice to meet you!」と全員。
 会話が始まった。緊張して英語が覚束ない私に代わって、友達夫婦が身上調査の如く色々と質問する。ネット上では、彼は64歳、でも、第一印象は”随分、老けている“だ。その時、私は60歳。4歳年上のはずだった。会話から分かった事は
①離婚して現在は独身
②息子1人、娘2人
③息子は精神医、娘は学者と弁護士
③郊外に一軒家を所有
⑤残された人生を一緒に過ごしてくれるパートナーを探している
以上の5点だった。
 食事の途中で向かい側に座る友達夫婦のテーブルの下を見ろ、との目の合図。隣に座る相手に気が付かれないようにそっとテーブルの下に目線を動かす。見ると二人共、両手の人さし指を大きく交差させている。つまり、感想は「×」。パートナーとしてだけでなく結婚する意志があるかどうかは?は同席の友達夫婦もさすがに聞かずに食事は無事に終わった。彼はレストランに自分の好きな赤ワインを持ち込み代(Corkage Fee)10ドル払って持ち込み、食事代はすべて彼が精算してくれた。緊張していた私は美味しかったか?不味かったか?ワインの味もイタリアンの味をほとんど覚えていない。後で分かった事なのだが、彼の本当の年齢は68歳、4歳も若く登録していた。ただ、友達夫婦は「×」を出してはいたが、積極的だった彼の気持ちに答えようと思ったのと、ロサンゼルスに住む彼の次女夫婦が食事に招待してくれ、優しく歓迎してくれた事にも嬉しくて、その後、数回、レストランでデートを重ねた。また、サンフランシスコに住む長女も会いたいと言ってくれ、車で彼女の家を訪ねる事になった。
 子供のいない学者の長女夫婦は5部屋もあるような瀟洒な一軒家に住んでいて、部屋はどこも趣味良く飾られていた。2階の一部屋を私用にしてくれ、パジャマも用意してくれてあった。次の日はワインの産地でサンフランシスコに近いナパ・バレー(Napa Valley)に連れて行ってくれ、高級ワイナリーの奥の別室に入り4人で乾杯。また、コーヒー好きの私をサンフランシスコで一番美味しいと言われているカフェでコーヒー味わいのひと時も……
 今思うと、彼女は本当に素敵な女性だった!
 彼の方は、丁度、より大きな家(300㎡くらい)を買ったところで、一緒に住む事を前提として付き合いたい、とも言ってくれたのだが、結局は破断。
 何が駄目だったのか?を自分なりに考えてみると、彼はある種の潔癖症。キッチンの少しの水垢も許さない。床の小さなごみもすぐに見つけ、摘まんで捨てる。どこもかしこもピッカピカ。私のズボラさでは相容れない。何といっても一番の原因は、私が動物的感覚でピンッと来るとか、ビビッと来るとかがなくて、傍に寄れなかった事だと分析。最初に会った友達夫婦の意見の「×」の”No”正しかったのだ。因みに30年間連れ添った夫は、見た途端“タイプ~”と思ったし……

 条件は素晴らしかった!
 私の状況にはぴったりだった!
 ただ、前章でも述べたように基本のケミストリー(Chemistry)がどうしても合わないと感じたのだ。断るための説明は明瞭には出来ず困ったが、彼もとりあえずは納得をしてくれた。記念にと送ってくれた腕時計もお礼を言ってお返しした。その後数日間、彼は再考を促してくれ、外から帰るとカードの付いた大きな花束が玄関先に置いてあったりもした。それを見ると心が動いたが、私にとっては条件ではなく、ケミストリーが一番大切!
 ただ、サンフランシスコに住む彼の長女の優しかった扱いが懐かしく・・・

一緒に飲んだ香り高いコーヒーとキャベネソービニオンの熟成したワインの味を忘れる事が出来ない。

よって、気楽に独り身生活を継続中。


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