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佐藤涼子『Midnight Sun』書肆侃侃房*歌集鑑賞

 まもなく1か月が経過するが、能登半島地震による被災者の避難生活は続いており、行き届かぬ支援がくりかえし報道されている。個人的にはわずかばかりの支援金募金をするくらいしかできないものの、それらの報道を注視し明日は我が身と心を寄せる毎日だ。
 そんな今、この歌集を改めて開いた。宮城県仙台市在住の歌人、佐藤涼子の『Midnight Sun』には、「記録」というタイトルの連作で東日本大震災の光景が描かれている。(以下抜粋)

   「橋の上で止まるな!落ちる!」と言われてもどこが橋だかわからない 闇

   「母さんは流されたぞ」と告げられた者でも勤務させるしかない

   性別不明身長計測不能だが頭があれば死者に数える

   もう駄目と悲鳴を上げる決心がようやくついた三年たって

 凄絶な出来事を淡々と切り取っている。この歌集をわたしが初めて読んだ頃は、まだ現代短歌に触れ始めて間もなかった。そして、衝撃を受けた。恐らく長文で描写したならば、目を背けたくなり最後まで読めないかもしれない、そんな内容が、短歌の三十一音に凝縮することで報道写真のように切り抜かれ、率直に映し出されている。短歌には、こんな表現ができるのかと驚いた。
 一首目の下句「どこが橋だかわからない 闇」は現実的な視界であろうが、一字空けのあとの「闇」には、明日のことも見えない深い深い絶望を含むかのようだ。
 二首目は、結句の「させるしかない」の視点が秀逸だ。誰もが勤務「するしかない」状況のなかで、他者を気遣う視点で「させるしかない」としたところに、言いようのない苦しさが滲む。
 三首目は、ほんとうに言葉を失う光景だ。しかし、東日本大震災の犠牲者の身元確認には、歯科記録による歯形鑑定が大いに役立ったと聞き及んでいる。「頭があれば」まだいいということなのかもしれない。
 四首目、淡々と悲惨な光景をつづる中に「悲鳴」はない。生きることに必死で悲鳴を上げる余裕もなかったのかもしれない。本来なら、自然発生的に思わず上がるはずの「悲鳴」が決心によって上げられる。それも三年が経過してからだ。どれだけの辛抱があったのか、これからもあるのか、計り知れない。

 この歌集には、震災詠以外の印象的な歌もたくさん収められている。最後に、その中でわたしの好きな歌も紹介しておきたい。
 
   この泡が消える前には話そうとギネスビールを真ん中に置く

 黒々としたギネスビールのきめ細かな泡、それを真ん中に置いて何を話すのか、甘い話ではなさそうだし、苦言だろうか。また素面では話しにくいとなると、自分自身の告白や懺悔なのかもしれない。背景の想像を掻き立てられる。

   ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

 結句でどきっとする官能的な歌だ。ペディキュアの色が情熱的な暖色ではなく、清楚で上品な印象の「ライラック色」なのがなお艶っぽい。

   カラメルの香りの風に晒されて苦しくなるまで君の名を呼ぶ

 カラメルは、砂糖を煮詰めて焦がすことで生まれる。甘い砂糖も焦がし過ぎれば苦くなる。恋人との甘い時間が、熱い思いのためいつしか焦げ付いてしまったのかもしれない。「苦しくなるまで君の名を呼ぶ」まだ終わったわけではない、しかし終わりを予感している。そんな物語を想像した。

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