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平出奔『了解』短歌研究社*歌集鑑賞*
終電の一本前で座ってる誰もを僕と呼べそうだった
自他との境界があいまいになっていく瞬間を切り取った一首。ただでさえ右へならえの日本社会で、逃せば後がない終電ではなく、余裕をもってその一本前に乗車するリスクを冒さない価値観。そんな乗客全員が群れとなってひとつの個を作っているかのようだ。
わたしが平出奔の作品に初めて出会ったのは、文学フリマ東京で販売されていた同人誌だった。味のある手書き文字の歌集で、日常会話に近い口語を無理に定型に整えることもせず、それ故に作者の感性が生々しく伝わってくる、衝撃的なものだった。それが何年かの歌歴を経ても、定型におさまらないままの作歌姿勢であるのが、いい意味ですごいと感じるし好きだ。
ゴミとして捨てようと伸ばす手の先のゴミは生きたがってるみたい
夜のニュースのずっと他人事 故郷の名前にもう振り向いたりしない
アンティークのスマホってもうあるのかもしれない夕暮れのハードオフ
「ゴミ」という無価値に思える言葉を拾い上げ、その価値を考えなおす。たとえ故郷のニュースであっても他人事に思える距離感となって、心を添わせることがなくなっている自分。次々と最先端技術に塗り替えられていく電子機器の世界では、もうスマホですら時代遅れになった端末があり、安値で売られている。日常の風景から、無常に変化していく「価値」を鋭くとらえるが、それは自分自身の価値を問われているような痛みがある。劇的な感情のない日常に、ただ乾いて疲弊していく個人の痛み。
次に会ったら言おう、で送るのをやめた全部が残ってる夏の夜
LINEやTwitterでの出来事が詞書に記されている作品群もあり、ネットでの他者との関わり方の遠近感が浮かび上がる。伝えないままになったメッセージは、行き場のないまま積もっている。そんな作者の紡ぐ言葉には、必要以上に語り掛けてこようとしない心地よい距離感がある。わたしはその伝え方を優しさに類似した何かのように感じる。
死にたくはなくて眠れば乗車率から溢れてもここは内側
キャパシティを超えた乗車率のなかで、自分のキャパシティを守るために眠る。疲れているときに前向きな理由を探す必要はない。眠ろう。この社会秩序の内側からはみでないように。
一線を越えないよう踏みとどまり過酷な状況で眠らねば生きていけない、現代社会は過酷なサバイバルに等しいのかもしれない。
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