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中村孝子『あね いもうと』*歌集鑑賞

 結社、中部短歌会の先輩の歌集を拝読した。書店には流通していない歌集ながら素敵な歌がたくさんあり、最近読んだ歌集の中で最も付箋まみれになった。

   反骨の精神むずと湧き出づる熊襲の裔のしたたかにあれ

 作者中村孝子さんは、1936年(昭和11年)熊本県生まれ。つまり戦前生まれの大先輩だ。「熊襲」とは『日本書紀』における九州地方の地名で、熊本に生まれた作者のたくましい精神性がうかがえとても頼もしい。

   被爆柳に皮一枚に命吹くしたたるみどり去年よりも濃し

 戦中戦後を知る作者が歌う、被爆柳の生命力。「去年よりも濃し」と未来に向かって強く命がつながっていくイメージは鮮烈で胸を打つ。

   赤ん坊のその柔らかき土踏まず踏むな踏ますなこの世の地雷

 作者は、この世の地雷をどれだけ目撃してきたのか。成熟した視点から紡がれる祈りと「踏むな踏ますな」に強い意志が込められている。未だ世界には争いが絶えない中、大人の責任として強い決意が必要だと、気持ちが引き締まる。危うい政策ばかりをとる政治家に読ませたい一首だ。
 また、「この世の地雷」はなにも戦争だけではなく、すべての人災を想定できる言葉だ。インターネットの世界での炎上で命を絶つほど追いつめられる人もいる。それらも新しい「この世の地雷」と言えるだろう。子育てをするなかで、何をどう教え育てたら良いのかという悩みにも通じる。

   耳の端喰いちぎられし野の猫が遠き目をするつめ草のなか

 飼い猫による癒しを歌う猫好きは多いが、このような猫の歌は珍しい。傷を負いながら生きている猫を憐れむでもなく、孤高の美しさが感じ取れる。反骨の精神を持つ作者だからこそ、野の猫の視線に気づき寄り添えたのではないだろうか。

 この作者には、おもしろさを含む愉快な歌もある。

   いっぱしのギャンブラーとなり二、〇〇〇ドルはたけば愉し船上の夜

   良き相の石に会いたりひとならば少し頑固で含羞のひと

   明け烏啼きゆく天(そら)のかすれ声いつの言質かこぼしゆきたり

 なんと、船上でギャンブルとは豪快。かと思えば、石の「相」から擬人化したキャラクターを想像する。「頑固で含羞」とは、それも熊本の人の気性を彷彿とする。
 「明け烏」の歌はまた趣が違うが、下の句がたまらなくいい。誰のなかにもある、忘れられた約束を、ふと思い出させるような感覚がある。

 さて、この歌集のタイトル『あね いもうと』の意味だが、実はこれは中村孝子さんの亡き姉にあたる、田上幸子さんの30首を加えて掲載した合同歌集となっている。「姉の前書として」の文に、「田上家は姉を以って消滅してしまいました」と書かれており、本書の中では順序が前後するが、それを踏まえてこの歌を味わってもらいたい。

   傘の字の四人家族にありにしを父母去りいつか畳まれる傘

 漢字に人が四つ入っているという気づきから展開される歌だが、結句の「いつか畳まれる傘」には、何気ない家族との日常の尊さが逆説的に表現されている。親子、兄弟で一緒に過ごせる時間は、人生のなかで意外と短い。
 そして、最後に作者の姉である田上幸子さんの30首が掲載されている。おふたりとも仲が良かったのだろう。さらに、おふたりともお酒が好きなご様子。酒好きのわたしとしては、この二首を最後に紹介して自分も一献やりたい。

 寒の夜は地酒がよろし賀茂泉備前の猪口になみなみと注ぐ /中村孝子

 水芭蕉咲く湿原を今に見ず想ひつつ酌む「尾瀬の雪どけ」 /田上幸子

『あね いもうと』
著者:中村孝子
1936年 熊本県生まれ 2001年から中部短歌会
2022年度中部短歌会短歌賞受賞
亡き姉の30首との合同歌集として2024年1月2日刊行

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