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次世代歌壇 第8回毎月短歌【現代語・2月の自選】人間選者:淀美佑子

さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!人間選者・淀美佑子の選評発表だよ!!
毎月の短歌選ぶも第8回、口語文語を分かつとし、すったもんだのその後で、さてさて話はこれからだ。
2月自選の現代語、ふたを開ければ集いしは、ありがたいこと183首。
どちらに投稿すべきかと、よもや失格?などという、ご心配には及びません。全てきちんと鑑賞し、選をいたしてございます!
どうぞ、今宵はお楽しみください!!

【道化師賞】
壁のカレンダー反対に巻き直しても春の辺りがカールしている/梅鶏

 丸められたカレンダーを壁にかけるとき、癖をとるために反対に巻き直す、それ自体は心当たりのある所作だ。それでもふんわりと丸みを残しているカレンダーの、1月から数ヶ月を「春の辺り」と表現しているのだろうが、その「春の辺り」は、日常の所作を飛び出して、実際の季節として軽やかにカールしているように感じる。まっすぐではないことが、楽しげだ。

【踊り子賞】
微睡みの中を泳いでいる金魚みたいな君をそっと捕らえる/間之口葵一

 水の抵抗のなかで、金魚の動きはスローモーションに見える。そのゆったりとした景を「微睡みの中」に重ね合わせていて魅力的だ。そして結句の「そっと捕らえる」には、金魚鉢の中で金魚を飼うような支配欲がのぞいていて、少し怖い歌でもある。そこがいい。

【火の輪賞】
義理チョコで渡したパッケージのフィルムは透明度の高いかなしみ/戸田静

 句またがりコンボの32音!大好物です。中盤を一気に駆け抜けるように読ませて、定型のリズムではないが、自然発生的な語句の流れで背骨が通った、一筋の一行詩としての短歌。
透明のフィルムのパッケージというのも、安いラッピングで義理チョコ仕様なのが伝わってくる。義理チョコは、もらったほうにかなしみがありそうだが、これは「渡した」作中主体が「かなしみ」を歌っている。もしかしたら、すでに相手の決まっている人への片思いで、本命なのに義理チョコしか渡せなかったのかもしれない。可視化できない思いを、ラッピングの透明なフィルムに託していると考えると切ない。
これを定型に整えれば、この「かなしみ」にはもっと劇的な演出効果がもたらされるかもしれない。でも、そうすればちょっと悲劇のヒロインを気取ったようになりそうだ。さっと言い終えてしまっていて、憐憫に浸らないのがいい。

【空中ブランコ賞】
ね、もしもし落としましたよ 天国はのどぼとけすら藍玉石(アクアマリン) /二野ペネロペ

 これはちょっと変な歌だなと思って、一度はスルーした。しかし「ね、もしもし落としましたよ」の呼びかけに、ついつい立ち止まってしまう。言葉の意味はわかる。「天国」を擬人化して、その「のどぼとけ」がアクアマリンだという。でも、のどぼとけは、ふつう落とさない。というか、「天国」といえば「神」なのに、のど「仏」という概念のねじれが、なんともおかしい。色々変だなと思うのに、それゆえ奇妙な感覚が印象に残り、選ばされてしまった。

【綱渡り賞】
わが熱をつたい運んで便箋に染み渡らせるインクはみどり/綿鍋和智子

 手紙に使うインクの色には、ヨーロッパでは意味があるとされ、「みどり」は別れを告げる色だ。別れを告げるにしては、作中主体の心は相手から離れたという様子ではない。それどころか「つたい運んで」「染み渡らせる」と重ねる動詞のベクトルが、偏執的だ。意味の近い表現を重複して盛り込むことは、短歌ではあまり良しとはされないし、これを忌避する読み手もいるだろうと思う。わたしも基本的にはそうだと思うのだが、このしつこい表現には、表記や活用形を散らす工夫も感じられる。熱に浮かされ、みどりのインクに取り憑かれたように筆をとる、どこか狂ったような風情をねらって詠んだとすれば、なかなか挑戦的だ。

【曲馬賞】
海馬には「活字」と彫られひらかれた部屋にはグーテンベルクの背中/楼瑠

 これは本当のところの歌意はわからない。しかし、シュールレアリズム的な魅力がある。「グーテンベルク」は、ドイツの活版印刷技術の発明者だ。脳の記憶を司とる部位である「海馬」に活字を彫るという発想もおもしろい。しかし「ひかられた部屋」は、理解を攪乱する。どうにか意味をとろうと何度も読み返しているうちに、「彫られひらかれ」がオノマトペのように作用している気がしてきて、意味を考えるのをやめた。グーテンベルクは背を向けていて、その真意を明かすことはないまま、この歌は着地している。本来はもっと大きなミステリーの文脈が背景にある、その欠片のように味わうのでいいのではないかと思った。

【天幕賞】
予報では月が孤独を食べるので今夜は君に会いに行かない/ゆひ

 この頑なさが愛おしい!歌全体が反語で、孤独だから君に会いたいなんて、絶対に言わないんだからねというツンデレ的な。「月が孤独を食べる」なんて予報もきっと嘘なんだけど、一生懸命考えられたかわいい嘘のような気がする。「今夜は」ということは、そうではない夜がたくさんあることも行間に読める。会いたいけれど、会いに行かない日を、なにかしら理由をつけて作っているのかもしれない。もう、こっちから会いに行きたくなってしまう。

◆舞台裏/選外◆

 以下は選外とし、全体的な雑感と共に、例をあげながら選の裏側を紹介します。
 投稿くださった皆様ほんとうにありがとうございました。選ばなかった歌にも、いい歌はたくさんありました。わたしの選では、過不足なく整っている歌はあまりとっていないかもしれません。人間選者として挑戦的な歌に魅力を感じることから、この選評をサーカス仕立てにしました。
挑戦のある歌にも色々あったのですが、選ぶかどうかの基準としては〈作者がやりたいことが歌の中で成功していると感じられるかどうか〉があります。やりたかった試みがうまく着地できてないと感じるときは、選からはずします。この選は、誤読の可能性も含みながらかなり人によって分かれる判断なので、自信作が選からもれた場合も気にしすぎないでいただきたい。
しかし、選ばなかった理由に言及しておきたい歌もいくつかありました。そのパターンのひとつが、〈既存のパワーワードを引用することで制御不能になっていると感じる歌〉です。

「真綿色君のようです」言われてた頃の私の聖子ちゃんカット/藤本くま

 例えばこれは、布施明の『シクラメンのかほり』の歌詞の引用と、「聖子ちゃんカット」どちらも時代を表す言葉としての磁場が強すぎて、「私」がほとんど見えなくなってしまっていると感じます。

会えるのはもうすぐですかまだですか揺りかごは透明過ぎるから/空虚シガイ

 これは既存の漫画(ドラマ)の『透明なゆりかご』に着想を得た、妊娠中の歌だろうと思いますが、「揺りかご」「透明」の力に作者自身の言葉が負けてしまっているように感じました。
とりあげた二首以外にも、このような例はいくつかありました。既存の言葉を流用することは、歌枕としての効果がある反面、その言葉の持つエネルギーを制御しきれるかどうかがポイントとなり、リスクもあることを覚悟しなければならないと改めて感じました。このことに言及したかったのは、元ネタがわからなくて伝わらなかったのかなと思われて終わらせたくなかったからです。

 (***投稿者の要望により、掲載作品とそれについての言及を一部削除いたしました。2024/03/18***)

 他に英語を併用した歌もあり、今後もそのような作歌を志す人がいるのであれば、参考にして欲しい歌を二首挙げておきます。どちらも、短歌の韻律に自然に外国語がなじんでいる歌です。伊豆みつさんの歌はドイツ語が用いられており、わたしの歌集鑑賞の別のnote記事に詳しい鑑賞がありますので、気になる方は参照してください。

好誼にと貰ひし洋燈閲すれば Made in Occupied Japan の刻印/堀田季何『惑亂』より
   
*「洋燈」には「ランプ」のルビ)

Lebensunwertes Leben どこまでがさうなのでせう葉緑体を持たずに生きて/伊豆みつ『鍵盤のことば』より

さあさあ、今宵の夢のひととき人間選者に幕降りる!第8回毎月短歌の現代語、2月自選はこれでお仕舞い!
いつかまたお会いしましょう歌いましょう。
ご覧いただきありがとうございました!

人間選者:淀美佑子

お題や情報はこちらから。短歌マガジン - 次世代短歌発見
https://mag.kotobadia.com/

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