何歳ですか?論

(2023年2月3日の記事)

またひとつ年齢を重ねた。

今回の話は、「いま何歳ですか?」「え、逆に何歳にみえますぅう?」と繰り広げられる居酒屋初対面年齢トークではなく、「何歳ですか?」と聞かれたら普通に年齢だけを言えばいいのに、日本でしか通用しないであろう学年での年齢を言ってしまう、アレ。特に僕のような早生まれの民は、慣れたように頭を回転させている。いや、させてしまっている。いや、させられてしまっている。

なので僕はジャストの年齢で応えるようにしている。が、それでも長期に渡る訓練のおかげで、そんな場面がくるとスッとその計算が頭をよぎり、出てしまう。先輩後輩の白黒をつけなくても構わないはずなのに。

そう、この頭を回転させているエネルギーがもったいない。

なんならブログを書いているこの時間までそっちに奪われてしまっている、あー少し腹立たしい。とにかく今回のこのブログで決着をつけたい。年齢を聞かれたら、年齢を応えて、学年の話はしない。以上!そうきっぱりと。

いや、けど若い頃は意識してしまうのは仕方がないのか?学生の学年違いの差は結構大きいもんなー、と。いや、いやいやいや、それでも学年の話は学生の間か、学生を卒業して三年間くらいまでで、それ以外はなしにしよう。それでいこう日本国民。

一月生まれなので。例えば、夏あたりにその話になると。二十五歳です。あ、学年でいえば二十六の年です、と。これがややこしい。一体、僕の年齢は何歳なのだ?ずっと疑問だった。まだ二十六歳にはなっていない。日本の年度末制度のおかけで、少しズレる。やっと二十六歳になって少し経ち、四月になる頃には同学年が二十七歳になり始める。僕からすればまだ二十六歳を三ヶ月しか楽しんでいない。いよいよ夏頃にもなれば、二十七歳メンバーが増え始め、僕自身ますます二十七歳だと言わなくてはいけない雰囲気になってくる。感覚的に年齢を損している。わかるだろうか?わからないだろうな。

わかるだろうか?と言った瞬間、何かが崩れた。今崩れた。崩れた音がした。そこまで吠える内容でもないと思えてきて、何か急に冷めてきた。うん、ちょうどこれを書いてる瞬間に頭によぎった。「ほんま、どっちでもええですやん。」こてこての関西弁が聞こえてきた。書き始めた時に湧き上がっていた主張が一瞬で消えていった。

わかるだろうか?と言った瞬間、何かが崩れた。今崩れた。崩れた音がした。そこまで吠える内容でもないと思えてきて、何か急に冷めてきた。うん、ちょうどこれを書いてる瞬間に頭によぎった。「ほんま、どっちでもええですやん。」こてこての関西弁が聞こえてきた。書き始めた時に湧き上がっていた主張が一瞬で消えていった。

スピリチュアルでは浄化と呼ぶのだろう。すーっと消えた。よくよく考えたら、ほんまにどうでもいい話だったのかもしれない。吐き切ってスッキリした。

ただ、ここまで書いたので、投稿はさせてもらうが怒りは収まっている。書き終えた今、穏やかな仏様の顔とお花畑が脳内でひろがっている。本当に決着がついた。

ふむ、これが年齢を重ねるというやつかもしれないな、いや、それは違うかーヒャハー。日本年齢論これにて一件落着。


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