全米が泣いた

(2023年10月6日の記事)

全米が泣く話をします。

度々出てくる男、小野風太と渓流釣りに行ってきた。

渓流釣りの良いところは、到着して車を降りた瞬間に吸う空気がめちゃくちゃ美味しいことだ。それだけでも心が満たされるのに、もう一度深く呼吸をしても、まだ空気が美味しくて、到着早々に、あーやっぱり来てよかったなと思えることだろう。

それもあって、実はなかなか釣りが始まらない。やっと用意をして、川に入り、釣り糸を垂れる。そこから自然と一体となり、魚との駆け引きが始まる。もちろん簡単には釣らせてもらえない。自然を相手にするとはそういうことだ。一体化してみたり、相手にしてみたり。とにかく自分の中の野生を呼び覚まし、感じるままに対話するのがよい。

気がつけば、お昼頃。ほどよく体も疲れている。火をおこし、お湯を沸かす。カップヌードルとおむすび。これ以上の組み合わせはない。そこに釣れたての岩魚があれば最高なのだが、それはその時々、神のご加護による。食後に珈琲と煙草があれば、セロトニンがドバドバと溢れ脳内麻薬が覚醒し、天にも昇り、全てが満たされる。渓流釣りの極みである。

満たされたのに欲深い僕たちは、帰り道、温泉に寄ってさらに癒されようとしている。あー罪深き行為。生きていることに感謝すれば、許してくれるだろうか。とにかく、ここまで来ると口から出る言葉は感謝と感謝と、感謝である。

感謝を口にすると、さらに良いことが続くのはこの世の法則。極楽の思いまでさせてもらえたのに、その日は、地元で収穫した新米一合を来場者にプレゼントしています、ときた。感謝してもしきれない。なんて日だ!と自分の中のバイキング小峠が叫んでいる。

まだまだ続く、お風呂上がりに食べたおはぎの美味しいこと。これにも心から感謝だ。なんて日だ、の連続。有難い。

怪我も事故もなく無事に帰宅。朝が早かったのもあり、ふらふらと気を失いかけながら布団に入る。
完璧だった。感謝に溢れた完璧な一日が終えようとしていた。

と、まさにその時である。

「ちょっとーーーー!!どういうことーーーー!!」と絶叫に近い叫ぶ声。

何事かと思ったが、こっちは完璧な一日の終わりを迎えている。関係ないと思っていた。思っていたのだが、下の部屋から「ちょっときてーーーー!!」とお呼びがかかった。眠たい身体を起こし、重い足取りで向かうと、洗濯したばかりの服からパラパラと米粒が落ちてくる。あーこりゃ大変だ、おいおい誰かがおにぎりをポケットにでも入れていたのか?なとど思った瞬間に顔が青ざめた。そして、体がガクブルと震えてきた。

わ、わ、わ、わ、私が頂いてきた新米一合なのでは??

その通りである。お米も一緒に洗濯機に入れてしまっていた。

1分前までの完璧な一日は、新米一合洗濯事件で吹き飛んだ。疲れていた体がシャキッとなり、眠たかった目も血ばしり始めた。

なんて日だ!小峠よりも大きな声が出た。

し、し、し、しまった。洗濯物についた米粒をとるのはもちろん、洗濯機の至る所に詰まった米粒は、ど、ど、どうすれば?とかもうパニック。洗濯機に付いている埃を回収するアレには大量の米が入っている。おぉ、こいつええ仕事するやん。そんな発見はあったが、今回はそれどころではない。この洗濯機中に散らばった米粒をどうすればいいのやら、とほほ。まー洗濯機を買い替えるタイミングだったしな、なんて頭によぎったが、ノーノーノーそうじゃない、諦めてはいけない。一粒一粒回収していくしかない。先が見えた頃にあー新米食べたかったなーなんて思っても後の祭り。洗濯しちゃっている。

後日、小野風太からLINEがきた。あのお米めちゃくちゃ美味しかったな!と。

いや、これには事件が起こりましてね~と。

これこれしかじか、洗濯機に入れてしまって食べれてなくて、全米が泣いたんよ。と。するとですね、何故か返事がこなかった。全米が泣いたって言った瞬間から既読スルー、どちてなの?

まあ、ええわ。わては関西人。これは笑い話や、とお客様に話をしたら、私が奥様の立場なら、ブチ切れて二日は口聞かないっすね~と。全米が泣いたなんて言ってきたら、さらにぶち切れますよと念を押され、また他のお客様に話すと、私なら離婚届けの半分を埋めていつでも渡せるように用意しておきますね~ですって。ですってよ。とほほ。

完璧な一日なんてない。ないからこそ、人生って美しいんですよね。

聞いて下さい、美空ひばりで「愛燦燦」。

全米が泣く話。映画は毎度、過大広告だけど、現実には稀に起こったりします。ハッシュタグ感謝。


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