(都合の)いい子。
悲しいときに決断しない。
幸せなときに約束しない。
どこかで聞いたな、と思いつつ、対人関係における決断のタイミングはどなのであろうかと考えあぐねる。
とても個人的な話。
冒頭の2行も、引用文も、Twitterで見かけたような気がする。
曖昧ながら、その文章を目にした時の私は、あぁこれは大事だなと、忘れたくないな、と感じたので、ことあるごとに思い出すようにしている。
詳細に記載しようとすると相手方が絡んでくる事柄なので、うすぼんやりと記そうと思う。他人からの、いい子、とは。
好奇心で近づいてみて、徐々に人柄がわかり、あぁ、時間の無駄だなと感じている現状。
「店の片隅で静かに座って飲んでてさ、自分にもドリンクをいれてくれてさ、あぁ、いい子なんだなって思ったよ」
いつだったか初期の印象を語ってくれたあなたへ。
いい子、なんてものは幻想で、あなたが良いように取りたかったからそう見えているだけ。不安定で破滅的な私の思考回路に直面して逃げ出すような醜態を何度繰り返すのでしょうか。
いい子。
昨日も言われた。
意中のひとから。
なにひとつとして触れ合っていないヒトとヒトでありながら、発する言葉と仕草、そして顔立ち、それらすべてがオトナに見えた。見えていた。
知れば知るほど、意中のひとは前述のどうしようもなく煮詰めた対人関係へと発展したひとに似ている。境遇や、生い立ちや、経験してきた職業が。
掲げる言葉は違えど、自己責任で生きている彼らはどうしようもなく魅力的だが、同時にわたしの常識は通用しない。そして譲歩もしない(お互いに)。
同じ末路をたどるのであれば、最初から始めない方が良い。
もどかしい幸せを享受しながら、地獄の窯を覗き見るような愚行は、私は侵さない。逃げだと後ろ指を指されようと、ではなぜ同じ轍を踏まねばならないのであろうか。私か、あるいは彼らが、相手に期待することをやめることができるようになったら、本当のオトナになったら、また話は違うのかもしれない。
山本文緒という小説家の作品に「ばにらさま」というのがある。
これは好きでも嫌いでもない、強いていうならば印象に残っているので好き、ぐらいの感想であるが、作中に登場する派遣OL・ばにら(さま)は主人公の正社員男とのデートの感想を誰にも知られていないブログに書き綴る、という話だ。
結局のところ、男はばにらさまのブログをひそかに閲覧しており、綴られる内容に心を痛めるのだが、今私が行っていることはばにらさまと同等である。
早く全て露見して、ひとりになりたい。
自分からひとりを選べない気の弱さと、対峙した人間に対し圧倒的自己中心的理論を振りかざす気の強さ。どちらもわたしを構成する要素であり、譲れない。
逃げたいのだ、この行き詰った現状から。
いい子、で居て好かれるなんて、当たり前のこと。
好かれるように振舞っているから、私はいい子。
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