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『BABY END』セルフライナノーツ

この曲を作っていたとき
“正常とは何か、異常とは何か“ や “普通“について考えてた。

きっかけはとある小説との出会い。

友人に薦められて
村田沙耶香さんの『地球星人』『コンビニ人間』『生命式』を読んでみた。

今まで言葉にできずモヤモヤしていた違和感の正体もなんだかわかったような、気持ちが晴れたような気がして。
この感覚を歌詞に取り入れてみようと思った。

楽曲タイトル『BABY END』(ベイビーエンド)と言うのは
コンビニ人間(著:村田沙耶香)のあとがきに
記してあった作家の中村文則さんの言葉がもとになってるんだけど。

社会が「普通」を要求する圧力は、
年々強くなっている気がするんだよね。

中村さんは物語が最後に赤ちゃんの誕生、もしくは妊娠で終わることを「ベビーエンド」と
内心呼んでいるみたいで
社会が内向きになると物語の世界も
「ベビーエンド」が少しずつ増えているんだって。

時々、自分は“普通“の枠に入れていない間違った人間なのかもしれないと思うことがあってね。

例えば、久しぶりに会った親戚に
「いつになったら結婚するの?」
「誰か良い人いないの?」
「働かないの?」「いつまで遊んでるの?」
そんなふうに言われたりとかあるじゃない?

友だちに話を振られて
同じ感覚で話をできなかった時に
「この人は違う」と一線を引かれたような、
もうその輪には入れないような空気になったり。

そういうふとした時に誰かの“普通“と同じではないと感じたり
「異常だ」「曲がっている」「かわいそう」
と思われたりしてるんじゃないかって...。

段々私は、
「治さなきゃいけないんだとしたら正解を教えて欲しいなぁ。」とか。
「疑問も違和感も抱かずに“普通“を実行できるように洗脳して欲しいなぁ。」
とか思うようになった。

「何を選ぼうと私は私である。」
なんて思えなかった。

大概の人は、
“普通“の人間が好きで安心する。
誰かの感覚や基準の中で生きていたり、
“普通“のふりしてひっそり暮らしていたりしている。

私はきっと誰かの感覚や基準の中で生きていたんだ。
その中で必死に自分を探していたのかもしれない。
どこかで誰かのせいにしながら。

だから、誰かにとっての”異常”だろうがなんだろうが
堂々と「私は私だ!」と言えなかったんだと思うよ。

人間は、
それぞれの自由な選択肢があって
(もちろん完全な自由ではなく状況によっては不自由だったりもするけれど)
人によって異なる様々なスタンスで、
それぞれのゴールを目指して生きていると思うんだ。

どんな価値観で生きていっても不正解じゃないよね。

誰かにとっての“正常“が誰かにとっての“異常“になったとしても。

“普通“なんてものは、
はじめから自分の中にしかなかった。

この世で唯一の許される発狂を正常と呼ぶんだ。
小説にもそんなことが書かれてた。

だから、
本当は何にも囚われなくていいんじゃないかな。
私たちはもっと自由でいい。自由になれる。

囚われていると思うなら解放すればいい。

私は自分自身を縛っている心の檻を破壊して
もっと素直でありたいと思う。

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