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ねるのマジおすすめ

じゆうちょう Advent Calendar 2020 9日目の記事です。

基本的にテーマはじゆうですが、ひとつ以上「おすすめの何か(モノ・コト)」を混ぜてみてください!(お題)

 タイトルで言いたいことは済んでいるし、以降その理由如何についてもまったく触れないので、ザっとスクロールしてそういう模様みたいなものを見たぞ、という気持ちになってねてください。

 そもそも私は他人になにかをおすすめするということがどうも苦手だ。深く考えず気軽におすすめすればよいのに、本題に入る前にいろいろな想いが渦巻いてしまい、いきなり参ってしまう。

 まずはおすすめしたものが相手の胸に刺さらなかったらどうしようという不安とおそれ。実際そうなったときの寂しさに対処できる自信がない。

 おすすめしたものを否定、批判されたときに感じる悲しみや悔しさ。おすすめした対象に対する申し訳なさ。自分のセンスのなさへの絶望。

 さらにはおすすめしたものが相手を傷つけてしまっていないか、上から目線の自慢になってしまっていないかという不安。「お前にはせいぜいこれくらいがお似合いだよ」みたいなことを言ってしまっていないか。

 しかしだからといって「おすすめ?特にないねえ。」という答えも申し訳ないので、当たり障りのない答えを選ぶ。可も不可もない凡庸なあたりを狙って。じゅうぶんな睡眠、適度な運動、バランスのとれた食生活。そんなことはみんなわかっている。聞く者にとって新たな発見はない。なんの情報量もなく、貴重な人生の時間を無駄にさせてしまう。もうそのこと自体申し訳ない。それに、本当におすすめしたいと思っているわけじゃないのに「あいつはああいうのが好きなんだな」と思われたりするのは癪に障るし、「それもっと詳しく教えて」みたいになったときにまずいことになる。それではいけない、逃げ道を作ろう、「知らんけど。」をつけて。これはこれで無責任、感じ悪い。

 こんな様子で適当に答えていると、どうでもいい内容への矛先は自分へと向き、「大して面白くないやつだな」という烙印を押され、見くびられ、評価は貶められてしまうのではないかという不安を加速させ、身動きが取れなくなり、季節が廻りまた暖かくなるまで長い眠りにつくことになる。

 ここまでの話は相手のことを想っているようにみえて、自分のプライドを傷つけたくないだけだ。見透かされたくないだけだ。秘めたポテンシャルなど持ち合わせていないのに。空虚でありのままな自分を眼の前にたたきつけられるのが怖い。そして自分の心に波風を立てるのを極端に恐れている。そこにあるものをそっとそのままにしたいという気持ち。

 しかし、そんなことでは成長しない。ギブアンドテイク、等価交換、義理と人情、そういったものから手を引いていては社会生活には適応できない。コンフォートゾーンから抜け出せ。難しく考えすぎなんだよ。というか難しくもない。トピック、対象については何ひとつ考えていないじゃないか。回避する理由だけをえんえんと考えている。火事が起きてるなら火を消せ。それだけの話だろう。

 そもそもこんな超個人的な不安の気持ちの話なんて誰も求めていない。ここでは誰かが何かをおすすめしているのだから、自分からも何かおすすめしてあげるのが結果として一番穏やかに事態は進むに違いない。中途半端に気遣うぐらいなら、もう最初っから他人に期待するのをやめればよいのだ。どうなろうとおしつけてしまえ。相手のために何かを選び取るのではなく、自分がやっていることや好きなことをを淡々と粛々と表明し、有用、有益かどうかは相手が判断し選び取ってもらう。そういうことにする。急な開き直り。私飛べる!もう何も怖くない!

 だいたいこの結論に落ち着くのだけど、たかがひとつおすすめするのに、いちいちややこしい気持ちを経由することが頭の悪さだ。最終的に開き直るという自分の中の答えがわかっているなら最初からそうすればいいのに。

そうだな、たとえば……

 アイスコーヒーにミルクとシロップを入れるときはミルクを先に。シロップは重いので後から入れるとミルクとともに沈んでいく。あとあんまり混ぜないでマーブル状のまま飲むのが好き。均一ではない味にして、口の中で変化を楽しむ。

 ホットコーヒーに砂糖とミルクを入れる場合、先にミルクを入れると温度が下がって砂糖が溶けにくくなるので、砂糖から入れるといいっぽいが、実はこれもあまり混ざらない感じが好きなので気にしない。最後の一口の溶け残った砂糖をくいっといくのがいいんじゃあないか。

 カプチーノに砂糖を入れるときは泡の上にかけて混ぜない。泡が壊れないように飲んで、最後に泡をスプーンなどですくって食べる。ちょっと溶けた砂糖のジャリジャリ、パリパリ感がなんかイイ。

 唐突に語りだしたけど何このツイートみたいな140文字以内の詰め合わせ。まあ、それはいいや、最初からこの話だけしなさいよ。聞かれたことだけ答えなさいよ。自らしきいをあげて失敗しているやつだぞ。前半の自分語りいらないよ。散々もったいぶって出てきた話がこれかよ。しかも急にコーヒー関連の話をしだしたけれど、コーヒー別にそんなに好きでもないじゃん。というかこの段落もいらないよ。何ならタイトルだけでいいよ。

 つまりだな、「あまり均一に混ざっていないもの」がなんか好きなのだ。そう、この言語化しにくい「なんか」というのが好きの本質でもある。こういうのを見逃さずに大切にしていこう。ごはんにかける卵とか、納豆とかカレーライスもそう。混ぜ切らない。しかし生焼けっぽいホットケーキはいやだな。百円均一みたいなのはいいだろう。

 最初からぜんぶ混ざったジュースみたいになるのがいやなら、素材いっこずつ食べればいいじゃん?と思うけれど、そういうことでもない。ほどよくかつ「あとひといき」感、ムラのある雑味、粗削り感を味わいたいのだ。フラットすぎるのは面白みがない。それは恋とも似た気持ちであり、不足の美を敬う「わび」の気持ちでもある。奥深さとは複雑さだ。浅い関係がまじりあって深まっていく、その瞬間こそがよいのではないか。それに、すべてが混ざり合い完全に均一化されるということは死、エントロピーが増大しきった熱的死、宇宙の終焉だ。混ざっていない状態から混ざり合っていく感覚を楽しめることが、今の時代を生きることの真の喜びとすら思っている。

 何の話だ。壮大な話でまとめようとするとこれもまた失敗するぞ。よし、ここはあえて推敲などせず洗練されていない粗削り感を楽しんでいただければという逃げ道を残しておこう。ああ、こうやって自分を守ろうとするのみっともないぞ。

 いやあ、何かを人に勧めるのって難しいですね。こんなときは「ねるのマジおすすめ」(知らんけど。)■

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