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源信法然を学んで(TSUKIJIアカデミー)

TSUKIJIアカデミー
~浄土真宗を学ぶ~

浄土真宗本願派 総合研究所講座
●インド・中国・日本~7人の高僧の教えに学ぶ~ ●

に参加しました。

2月1日最終回は「源信・源空」
日本のお坊さんのお話です。

浄土の教えですが10世紀にはすでに貴族社会(藤原摂関家)で阿弥陀信仰が流行していたそうです。平安時代の終わりあたりだけかと思っていましたが、そうではないのですね。

この時代の天台浄土教は観想念仏が中心だったと思われているみたいですが、橋本先生によると、すでに称名念仏が主流だったとのこと。

観想念仏; 心の中に仏の姿や功徳を念ずること。 仏教修行の基本の一つで,仏の名を唱える称名(しょうみょう)念仏に対する。

称名念仏; 称名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。 「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。 また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。

源信和尚は正信偈を通じて知りましたが、正信偈の報化二土について「報土も化土も同じ浄土のこと」とある本にあって、そこから理解が深まっていませんでしたが、化土は「懈慢界」のこと、仮浄土と考えたらいいとのこと。

少しわかった感じです。

懈慢界;仏教で、極楽浄土へ行く途中にある快楽の国。

毎朝唱える正信偈も少しずつですが理解が深まっています。


法然さんについてですが「浄土宗と浄土真宗の違いがつかめていない」と質問させてもらいました。

先生曰く「時代の違い」「対象者の違い」と明快なお答え。

まず40歳の歳の差による考え方が違うということ。これは少し調べないといけませんが、「対象者の違い」はとても納得するものでした。

法然さんですが、法然さんは京都での布教が主なので、貴族への布教が中心となります。貴族は仏教をよりどころとする全ての人が守らなければならない規範に従う証である戒名を欲しがり、その範疇で法が整っていたのではないかとのこと(こんな解釈でいいでしょうか?)。

浄土真宗は阿弥陀様に信心すれば必ず仏になれるよ、といった正定聚的の考えです。親鸞さんが東国鎌倉幕府に出向き、東国武士への布教を対象にし、その布教の過程で真宗の教義が確固たるものになっていったのではないかとのこと(とのことで合ってるかはちゃんと聞いてないですが^^;)。

正定聚;必ずさとりを開いて仏になることが正(まさ)しく定まっているともがら(聚)のこと。

確かにいつ死ぬかわからない武士、人殺しという大罪を背中合わせで生きなければいけない人に現生において仏になるチケットが手に入るよ!って誘われたら、入信しちゃいますよね。


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