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九死に一生を経て①

病気について
知ってる人も多いかと思いますが
命を懸けた病気から帰ってきました。

2022年12月26日23時50分ころ、
翌日 飯田市でのユニック作業の仕事
のため自宅で寝ようとした時、大きなくしゃみをしたところ、背中を木刀か日本刀で切られたような痛みが走って、呼吸も苦しく、一旦は座って休もうとベッドに腰掛け、でも痛すぎて休めずとりあえず病院だと思い車の鍵を持ち、玄関まで行ったけど、とても運転なんかできる状態じゃないと思い 今度は自分で119番 救急車を呼びました。
来るまでの間に気を失いかけて
でも救急車の音に気づいて 
「痛いから助けて」ってひたすら言っていたと思います(+。+)
相澤病院に運ばれてそこでも痛いから何とかして……と そこから検査と点滴と激痛の中レントゲンとCTとで辛かった   CT撮って戻ってきたら  「もう動かないでね」って  えっ?ヤバい?から早かった  血圧を一気に下げなきゃいけないからねぇ……  で点滴から薬(麻薬)を入れ始めても痛みは引かず  「だんだん落ち着くから待ってね」とこういう時寝れれば楽なんだろうけど何故か寝れなかった。
で心臓血管外科の先生が来て
「大動脈解離のスタンフォードb」っ

入院2日目

て言われて???「落ち着いたら教えてあげるからとりあえず血圧下げないと危ないから我慢してね」
「しっかり治してくから安心して」

血管が裂けてれば痛いのは当然ですよね 。集中治療室に入院になりました。
スマホから何から取り上げられ、何も分からないまま病室の天井だけ見てました 1日数十分くらいはテレビ📺は見れたり  

でも治療で酸素マスクみたいのを途中からやらなきゃいけなくてそれが一番辛かった(看護師さんと何度も喧嘩した)
肺が潰れているから酸素をいれて膨らませないと呼吸ができなくなる。
血中酸素濃度の数値との戦いをしました笑。
あの独特のエラー音  今でも、夢にでたり、テレビで聞こえると苦しいです 。


3日ほどして朝起きたら右手右足が動かなくて看護師さんになんかおかしいと  で脳外科の先生来てMRI撮りに行きましょうってなって  「脳梗塞がおきてます」って考えるも何もの絶望感まだ生きれるの?

まず一般病棟に戻るのに色々な治療しましたね   途中担当した看護師さんから「アルウィンでまだやるんでしょ」ってハッパかけられたり普段山雅っぽいもの何も持ち歩かないから???だらけだったけどね

治療も2週間飲まず食わずで(水分は綿に水を含ませてか朝 夕の薬💊の時だけ) おかげで10キロ近く痩せました笑

一般病棟に戻って  治療とリハビリの日々になりました  
途中薬でアレルギーが出たり睡眠障害になったりしてなかなか大変でした😰原因不明だけど胆管炎にもなったりして食事もまた制限がかかって退院が2週間近くのびたりして

いろいろあってどうなるかと思ったけど何とか1月終わりに退院できました
いろいろとの部分はいろいろです

2023年1度目の大病です


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