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普通ってなんだろ?偏見があったのは私なのかもしれない

障害と言うと身体的なのか知的なのか位にしか知識もなかった

長男は保育園の時から集団からはみ出してしまう子で、年長の時に小学校に入るのに1度診てもらっては?と言われたのが始まり
確かに落ち着きもなく衝動的に行動したり眠りも浅く寝ている間に外に行ってしまう事もあった。
長男の手と私の手を紐で括って眠ったり…
毎日誰かしらに謝る事ばかり
それでも私はそれらの行動を特別に感じていなかったと思う。
就学前検診で相談して児童相談所で知的検査をした
引っかかった項目は、やや集団行動が苦手。
それだけだった…

入学してから益々落ち着きがなく何かなくなると疑いは長男、次第に教室にいられなく校長室で過ごす事が多くなった
保護者会ではいつも標的の様に長男の話題
長男がキョロキョロして落ち着きがないのが嫌だ
椅子を揺らしてて迷惑
話しかけてくるから勉強できない
などなど…
先生からの呼び出しもしょっちゅう
そうしてるうちに私がシングルで躾ができていない、愛情不足、若くして産んでるからお母さんが人間できてないとか本当にいろいろ言われました
(๑•́ ₃ •̀๑)

4年生の時に担任から子供の精神科を紹介されました、当時は発達障害と言う言葉も聞き慣れない程だったし、病院に行くような事なのかとも思ったけど私自身、シングルであること愛情不足や躾問題は事実だと自分を責めていました。
この子はおかしいと他のお母さん達に言われ、その言葉は本人にも向けられて病院へ行ってみることを決意したのです。
ここでの結果もグレー。
特にどうすることもなく大丈夫とは何が大丈夫なのか?今教室にも行けず4年生になりこのままで良いのでしょうか?
私はどうしてあげるべきなのでしょうか?
細かい事を言ったら止まらないほどの思いを主治医にぶつけました。
そこで提案されたのが
・通院してカウンセリングしていく
・投薬
・少人数のグループ活動(病院で)
・入院
でした。
長男としっかり話して決めよう、ただ今のままは良くないから何かしら動き出そうと思いました。

長男と話して彼の出した答えは入院でした。
実は
初めて病院を訪れた時、知的障害があるお子さんがぴょんぴょん跳ねて奇声をあげていたんですが長男はその光景にショックを受けて後退りし、私に
「俺はこいつらと一緒かよっ!」
と言ったんです。
思わず平手打ちをしてしまいました…
忘れもしません
「こいつら?そして何が一緒?今あなたは自分とこいつらと言った子を分け隔てたんだよ!?
おかしいと言われてるのが何かって、その心だよ!」
そう言ってしまったんです…

入院って言った時に、
「何で入院なの?入院になれば診断名もつく、薬だって飲むようになる。今のままでいいとは思わないけど入院って、家族とも離れるし」
そこまで言った時に
「何だっ、お母さん。お母さんは自分の子を障害者にしたくないんじゃん。あの子達と分け隔てた心がおかしいって言ったけど、お母さんもじゃん。」
「俺だって変わりたい。
頭で考えてる事とやってる事が違うんだよ!」

2人で泣きました。
長男の言葉に そっかぁ私が偏見持ってたんだ、そして長男自身が苦しかったんだ、ちゃんと考えられてるんだと入院という選択を決めました。

診断名はADHD

病院の敷地内に学校もあり、半年間転校もして入院生活を送りました。


当時はまだ発達障害と言う言葉は聞き慣れず私自身も無知で受け入れるまでには時間もかかったし、本当に様々な出来事がありました。
ただ…
いろいろな問題を抱えているのが、やっぱり自分のせいでと悩んでてそれが診断名をつけられた時にちょっとだけほっとしたのも事実です。

普通って何でしょうね。
おかしいと言われ続けた当時は全ての人が敵のようにも思ってた。

またどこかで続きを…

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