これまでの世界大戦が終末預言の成就ではあり得ない聖書的根拠
まずマタイ24:7を引用しておきましょう。
《民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。》
ここで注目すべきなのは、「飢饉」「地震」は複数形ですが、「民族」と「国」は両方とも単数形だということです。
「民族」(ギ語:エスノス)
「国」(ギ語:バシレイア)
単にこれだけの証拠で、このしるしは全面戦争どころか、2カ国以上関わっていないことが分かります。
敢えて解りやすく訳せば、「一民族は一国民に,一国は一国に敵対して立ち上がり」ということです。
このことはギリシャ語の単語を調べて見るだけで誰にでも確認できます。
ちなみにそれぞれの複数形が見られる次の聖句と比べてみてください。
《ヨルダンの向こう岸、異邦人(エスノン:複数形)のガリラヤ》(マタイ4:15)
《暗やみの中に座っていた民(ギ語:エスノン:複数形)は偉大な光を見…》(マタイ4:16)
《わたしの名のために、あなたがたはすべての国(エスノン:複数形)の人々に憎まれます。》(マタイ24:9)
《この御国(ギ語:バシレイア)単数形)の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民(エスノン:複数形)にあかしされ…》(マタイ24:14)
このように、この「国民」という語はその殆どの場合複数形で用いられています。
単数形で記され方が希です。(全163箇所中、単数形は21箇所、その内マタイ、マルコ、ルカは平行記述の同内容ですので、ほぼ88%は複数形です)
「国民」(ギ語:エスノス)が単数形で記されている聖句全リストマタイ21:43; 24:7 マルコ13:8; ルカ7:5; 21:10; 23:2; ヨハネ11:48; 11:50-52; 18:35 使徒10:22; 10:35; 24:10; 24:17; 26:4; 28:19; ローマ10:19;Ⅰペテロ2:9; 黙示録5:9; 7:9; 13:7; 14:6
そしてこれら単数形の「国民」は、2つの例外(*)を除いてすべて「ユダヤ人」を指していることが文脈から分かります。
その数例を引用してみます。
《 この人は、私たちの国民(エスノス)を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。(エスノス)》ルカ7:5
《この人はわが国民(エスノス)を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ・・》ルカ23:2
《ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民(エスノス)も奪い取ることになる。》ヨハネ11:48
ですから「国民は国民に対して」という記述の最初の「国民」は「ローマ」で、後ろは「ユダヤ」を指していると言って間違いないでしょう。
マルコ13章やルカ21章の平行記述も含めて、関係する国民や王国はそれぞれ2者だけであり、世界大戦に関連付ける根拠は皆無です。
※前述の「2つの例外」については、主題の論点からちょっとずれるので《「パス」と「エスノス」に関する備考:》として巻末に備考として記すことにします。
さてでは、黙示録6章の「赤い馬」についての記述はどうでしょうか。
次にこれを検討してみましょう。
《これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。」ー黙示録6:4
単に「地上から」と読むと、地球上全体のような印象を受けるかも知れませんが、しかし聖句そのものは、単に「地から」と述べているだけで、それが「全地」であることを示す根拠は存在しません。
それどころか「地」(ギ語:ゲー)の全体を表現する場合、その前に「ギ語:パス all, every」若しくは「ギ語:ホロス whole, complete」という「全体、すべて」という語を伴って記されています。
そのいくつかを挙げておきましょう。
「パサン」を伴っている例:
《三年六か月の間天が閉じて、【全国】に大ききんが起こった》-ルカ4:25《わたしの名を【全世界】に告げ知らせるためである》-ローマ9:17
《その声は【全地】に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた》-ローマ10:18
《その目は、【全世界】に遣わされた神の七つの御霊である》-黙示録5:6
「ホロス」を伴っている例:
《【全地】が暗くなって、三時まで続いた》-ルカ23:44
《【全地】は驚いて、その獣に従い》-黙示録13:3
《このうわさはその【地方全体】に広まった》-マタイ9:26
《イエスのことをその【地方全体】に言いふらした》-マタイ9:31
最後の2つは、範囲が全「地球上」でないことは明らかなので全「地方」と訳していますが、単語自体は黙示録6:4の「地上から平和を奪い取る」の「地上」と同一です。
このようにギリシャ語本文は「地」全体を表す時には必ず「全」という別の単語を伴っています。
これらの点から、「地上から」という表現が「全世界から」平和を取り去るということを意味しているわけではないことが分かります。
むしろ単に「地」という表現には様々な広い意味があり、この語だけではその範囲も定かではありません。
「地」(ギ語:ゲー:国土,土地,地面,土壌,地域,地域の住民)は文字通り「地球」を指す場合もありますが、場面によって様々な意味で用いられています。それゆえに、この語は様々な単語に訳されています。
ギリシャ語:ゲーの現われる聖句の例
《あなた方は【地】[ゲー]の塩です》(マタイ5:13)(地域の住民)
《自分の宝を【地上】にたくわえるのはやめなさい》(マタイ6:19)(自分の生活圏)
《雀の一羽でも・・【地】に落ちることはありません》(マタイ10:29)
《別の種が【土】の薄い岩地に落ちた》(マタイ13:5)
《舟は、【陸】からもう何キロメートルも離れていた》(マタイ14:24)
《イエスは群集に【地面」に座るよう命じられた》(マタイ15:35)
赤い馬の乗り手が「地上から平和を奪い取る」と言ってもその範囲は定かではありません。では「大きな剣が与えられた」という記述はどう捉えるべきでしょうか。
決定的なのが、次の聖句です。
《…地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた》ー黙示録6:8
「大きな剣」の影響の及ぶ範囲は「地上の四分の一」です。しかし、世界大戦は「地上の四分の一」どころか「総力戦」でした。
特に第二次世界大戦の参戦国は60カ国以上で、僅かな数カ国を除いて殆どがそれに関わりました。
(タイトル画像の参戦国世界地図を参照)
現実の戦争の規模(90%以上)からみると、これまでの世界大戦が聖書預言の成就であるとは決して言えません。
つまり4頭の馬の疾駆は未だ成就しておらず、なお将来のことだと言うことです。
※前述「パス」と「エスノス」に関する備考:
先にリストアップした「国民」(ギ語:エスノス:単数形)がほとんどユダヤ人だけを指していることは聖書から確認できると述べましたが、例外と言えるのが次の2つです。
それは、使徒10:35と黙示5:9です。
《あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族【国民】の中から、神のために人々を贖い》-黙示5:9
英単語に下に記されている略語は、その単語の品詞や人称/時制/性別などを示すものです。
末尾の「S」は「Singular:単数形」を表しています。ちなみに複数形の場合「P-Plural」となります。
この【部族」【国語】【民】【国民】はみな単数形だということが分かります。
この4つ列挙されている頭に「あらゆる、全て」という意味のギリシャ語「パス:every」が置かれています。
《あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から》新共同訳《凡ての種族と国語と民と国民と・・》塚本訳
「あらゆる…」なのにどうしてそれに続く語が皆、「複数」ではなく「単数」なのでしょうか。このギリシャ語の単語についてこのように解説されています。
〘pas("each、every")とは、適用される各々のパーツの意味での"all"を意味します。全体像の強調点は、「一度に一つ」です。〙
(イマイチ分かりにくい説明ですが、ともかく、単純に「全部」という総体ではなく「各部分」に着目が置かれている語だと言うことのようです。)
この「ギ語:パス」は多くのところで「誰でも」という語に訳されています。
例:《兄弟に向かって腹を立てる者は、【だれでも】(パス)さばきを受けなければなりません》マタイ5:22
ここで、あともう一つの例外の聖句「使徒10:35」の出番です。
黙示録5:9にある「すべて(パス)」と「国民(エスノス(単数)」と同じフレーズが見られます。
《【どの国】(every nation)の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです」-使徒10:35
同じフレーズなのに、ここでは「あらゆる国民は」とではなく、「どの国民でも」と訳しています。
「国民全部」ではなく、「正義を行う」個々の人に注目し、それがどんな人種であったとしても例外なく全員…というニュアンスが伝わります。
それで、この2つの例外も、ユダヤ人を筆頭に他のそれぞれの国民にも神に祝福が及ぶということがわかります。
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