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ダニエル書の獣の「小さな角」とは何者ですか


「小さな角」とは終末期の最後の最後に現れ、短期間、猛威を振るう最後の支配者です。

《その雄のやぎは・・強大になるや,その大いなる角は折れ,その代わりに際立った四つの[角]が生えて来て,天の四方の風に向かった。 そして,そのうちの一つから,別の角,小さい角が出て来た。それは非常に大きくなっていって・・飾りとなる所に向かった。そして,その軍の君に対してまでそれは大いに高ぶり,その方から常供のものが取り去られた。また,その方の聖なる所の定まった場所は打ち捨てられた。》ダニエル 8:8‐11

南の王も北の王も、この「雄やぎ」から発生しています。
4つに分裂した国のうち「南の王」はエジプト、「北の王」はシリア。

《そのうちの一つから,別の角,小さい角が出て来た》とありますが、これの解き明かしをしたガブリエルの解説ではこうなっています。

《・・「人の子よ、この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。・・「見よ、この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。 お前の見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシアの王である。 また、あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。その額の大きな角は第一の王だ。 その角が折れて代わりに四本の角が生えたが、それはこの国から、それほどの力を持たない四つの国が立つということである。 四つの国の終わりに、その罪悪の極みとして高慢で狡猾な一人の王が起こる。 自力によらずに強大になり驚くべき破壊を行い、ほしいままにふるまい力ある者、聖なる民を滅ぼす。 才知にたけその手にかかればどんな悪だくみも成功し驕り高ぶり、平然として多くの人を滅ぼす。
ついに最も大いなる君に敵対し人の手によらずに滅ぼされる。》
(ダニエル 8:17-25)

この小さい角の預言はシリヤ(北の王)のセレウコス王朝出身のアンティオコス・エピファネス(BC175-163在位)によって成就しています。
エピファネスが神殿を汚し、常供のものを取り去ったのは歴史上よく知られています。
エピファネスについては外典の「第一マカベア書」に詳しく書かれています。

しかし、「小さな角」は「人の手によらずに滅ぼされる」 それはすなわち《やがて裁きの座が開かれ彼はその権威を奪われ滅ぼされ、絶やされて終わる。》(ダニエル7:24)ということですが、エピファネスは「人の手によらずに滅ぼされ」てはいないので、彼は、預言的な雛形であり、この預言の最終成就は、やはり終末期での出来事を記していると言えます。

事実ガブリエルは、「この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。・・「見よ、この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。」とはっきりと「終わりの時に関するもの」と延べ更に重ねて「怒りの時の終わり」と述べています。
この「怒り」と訳されているヘブライ語は「ザーアム」で、憤慨/激怒という意味の語です。
ダニエルはこの語を、11章の中でも用いています。

《あの王はほしいままにふるまい、いよいよ驕り高ぶって、どのような神よりも自分を高い者と考える。すべての神にまさる神に向かって恐るべきことを口にし、怒り【ザーアム】の時が終わるまで栄え続ける。定められたことは実現されねばならないからである。》ダニエル11:36

そしてこの語は、神の裁きの日に関する預言の中でよく用いられています。例を挙げておきましょう。

《あなたは、憤りをもって大地を歩み、怒り【ザーアム】をもって国々を踏みつけられる。》ハバクク3:12
《わたしは諸国の民を集めもろもろの王国を呼び寄せ彼らの上に、憤りと激しい怒り【ザーアム】を注ぐことを定めたからだ。》ゼパニヤ3:8

さてダニエルは「小さな角」に関する別の預言を7章の中でも記録しています。

《・・第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。  その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。》 ダニエル 7:7‐8

《十の角はこの国に立つ十人の王そのあとにもう一人の王が立つ。
彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す。彼はいと高き方に敵対して語り、いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ。
聖者らは彼の手に渡され一時期、二時期、半時期がたつ。》
 ダニエル 7:24‐25

ダニエル8章の「小さな角」はギリシャから分かれた4つのうちの一つから出て来るという記述になっており、7章ではローマの最終段階で登場します。
この一見矛盾するかのような記述をつないで、詳細を明らかにしているのが黙示録です。

《七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。 あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。》黙示録17:7、8

《五人は既に倒れたが、一人は今王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、この王が現れても、位にとどまるのはごく短い期間だけである。 以前いて、今はいない獣は、第八の者で、またそれは先の七人の中の一人なのだが、やがて滅びる。》黙示録117:10,11

つまりローマ(後の時代の復興したローマ)は10本の角のある獣として再登場します。

この黙示録17章の「第8番目の王」ですが、これは、まさしく最後の最後の王です。つまり、10本の角の3本を抜いて最後に割って入った「小さな角」に他なりません。この「小さな角」は第四獣(ローマ)から生えてくるのに、「かつていたが、今はいない」つまり、ローマの前に存在し、一世紀にはいない王です。このことから、後から出る「小さな角」は実は古代ローマ帝国の構成国のものではないことが分かります。これについては次のように表現されています。

《それらの後にさらに別の者が起こるが,その者は初めの者たちとは異なっ
ており,また三人の王を辱める》
ダニエル 7:24

「小さい角」が他の角と異なっているのは、他の3人の王を辱めることをさしているのではありません。異なっているのは出身地、別の獣の構成国からのものだということでしょう。

それはつまり「かつていた」ギリシャに属していたはずの者である、従って終末期の復活ローマである7番目の頭に元ギリシャの王(終末期のエピファネス)が生えてくると考えられます。
「かつていたが今はいない野獣,それ自身は「八人目の王」でもある」と表現されているものは第4の「恐ろしい獣」の体に急成長した「小さな角」が合体した形をとるということです。

つまり7人の王のうち、5人は過去の存在で、ヨハネの時代には6人目の王が実在し、他の一人である7人目の王は将来現れる。
そして、8人目は、かつていた5人の中のひとりであるということです。

「かつていたが今はいない」というのはいつのことでしょうか。

「先の七人の中の一人であった」現代版エピファネス、すなわち最後の北の王である「不法の人」は、10本の角からなる復活ローマを乗っ取って、イニシアチブを取ると考えられます。ゆえに7番目の野獣でありながら、全く様変わりした故に8人目の王でもあると言われているのでしょう。
(元々「王」は7人しかいないとされているのになぜ「8人目の王」などというのが存在するのか。という疑問が浮かびますが、本来なら7人で完結し、その後はキリストの王国に取って代わるので、8人目の王はキリスト以外には無いのですが、この不法の人は、自らを神あるいはキリストであると宣言するゆえに、偽物の8人目の王ということになるのでしょう)

この点を、もう一つ全くの別の角度から確証してみましょう。
その前に今一度確認事項ですが、獣は全部で4頭しかいません。そして最後の獣は第4の獣、つまりローマです。

では、その獣の再デビューである終末期での登場のシーンを読んで見ましょう。

《一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。・・わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。》黙示録13:1,2

さて、ここでちょっと読み進むのを止めて、じっくりと上記の獣の姿を脳裏に思い描いてみてください。
何か「あれ? 何で?」という違和感を覚えられるはずです。わたしがこう言う理由をお考えになった上で、もしかしてこのこと?という答えを見出してから、次を読み勧めてください。

ダニエル書から、ヒョウ=ギリシャ、熊=メディア・ペルシャ、獅子=バビロンであることがわかります。
しかし、頭が7つあるのに、似ている動物は3種類しか挙げられていません。
また、最後(4番目)のローマを表す「恐ろしい獣」に似ているところがありません。
しかも、各部分がそれぞれ、各動物に似ているのではなく、その獣の全体像は「ヒョウ」に似ていて、他に「足」と「口」に言及しています。
これは実に不思議なことです。
終末期である最後に上る獣の全体の特徴が「ローマ」を象徴する「恐ろしい獣」の姿ではなく、なぜ「ヒョウ」なのでしょうか。
「ヒョウ」はつまり、ギリシャです。なぜ第4獣の最終的な姿が「豹に似て」いるのでしょうか。

それはほかでもない、ローマという獣を牛耳る張本人がギリシャ出身の「小さな角」だからです。

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