マガジンのカバー画像

〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

89
このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
運営しているクリエイター

#臨在

「患難前携挙説」の根拠とされる『試練の時から・・守ろう』という聖句に関する考察

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。  この聖句について、再臨二段階説の人々はこう注釈します。  「『試練の時には・・・・守ろう』の『には』の原語はἐk(から)であり、これは『試練の時から・・・・守ろう』と訳される。だから教会は、来たるべき試練の時である患難時代の前に、地上から携挙され、取り去られて守られるであろう」。 しかし、あなたご自身で、よ~く文面を読み、考えて下さい。 果たして遭遇することのない災いから「守る必要」がどこにあるで

いわゆる「携挙」と表現される教義についての考察 Part 2

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 患難前(中)携挙説を支持する人は、再臨が2段階(空中再臨と地上再臨)で生じると主張します。 そして、(この説の支持者すべての統一見解かどうかわかりませんが)一度空中再臨して、復活組と携挙組を連れて、一旦天に帰るという解説も見受けられます。 なぜ、そういう説明をしているかというと、おそらくもしそうでないなら、キリストとみ使いの軍勢と歴史上すべての復活した人と携挙した人々全ては、患難の期間(7年間)ずうっと

いわゆる「携挙」と表現される教義についての考察 Part 1

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 Christendom(キリスト教世界)において、いわゆる「携挙」と表現される教義があります。 宗派によって、これを完全に信じているもの、全く無視しているもの、ほとんど無関心なものなど、様々な見解、態度が見られますが、聖書に明確に記されていることについては、これを正しく捉えようと務めるのはクリスチャンとしてあるべき姿であると思いますので、私なりの研究をここで述べさせていただきたいと思っております。 ま

「一人は連れて行かれ、もう一人は残される」は携挙の記述ではない聖書的根拠

「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。」マタイ24:40 「連れてゆかれ」と訳されている語は[ギ語:パラランバーノ to receive from ~から受け取る]です。 多くの箇所で「連れてゆく」と訳されています。 「残される」と訳されている語は[ギ語:アフィーアーミ  to send away, leave alone,放置 permit許可する] 手放す、開放するなどとも訳されています。 また、様々な箇所で言及される「(罪を)赦す

患難前携挙説に伴う「空中再臨」の謎

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 いわゆる「携挙」と呼ばれる教えについて、すでに何年も前にHPに投稿したものですが、ここに改めて1つに纏めておこうかと思います。 題して「この1記事で「携挙」のすべてが分かる! 必読。」 さて、プロテスタント系福音派に「空中再臨」「地上再臨」という解説が見られます。不穏な事象が見られる昨今、終末期の獣の刻印はワクチンパスポードだ、などの声が大きくなっているためか、「患難」近しと、「携挙」ブームも一段と熱