マガジンのカバー画像

〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

89
このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
運営しているクリエイター

#黙示録

「黙示録の〔封印、ラッパ、鉢〕に関する前代未聞の発見及び考察」

(※この記事は、2011年5月にHP上にpdf文書で著した4部作と、後の一部改定を扱った短い記事をすべて合わせた上で、加筆し〔note〕用にリニューアルしたものです。) 【伝統的な「入れ子」構造という理解の見直し】 伝統的な解説として、この3つはそれぞれ「入れ子」状態になっており、7番目の封印の中に7つのラッパの出来事が含まれ、さらにそのラッパの7番目の中に7つの鉢の出来事が含まれるとされています。 これは、私の知る限りどの宗派でも変わりはないようです。 しかし、このと

これまでの世界大戦が終末預言の成就ではあり得ない聖書的根拠

まずマタイ24:7を引用しておきましょう。 《民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。》 ここで注目すべきなのは、「飢饉」「地震」は複数形ですが、「民族」と「国」は両方とも単数形だということです。 「民族」(ギ語:エスノス) 「国」(ギ語:バシレイア) 単にこれだけの証拠で、このしるしは全面戦争どころか、2カ国以上関わっていないことが分かります。 敢えて解りやすく訳せば、「一民族は一国民に,一国は一国に敵対して立ち上がり」ということ

『試練の時から・・守ろう』という聖句は、「患難前携挙説」を完全否定する根拠であるという考察

この記事は、すでにUPしている、《患難前携挙説」の根拠とされる『試練の時から・・守ろう』という聖句に関する考察》のパート2という位置づけになります。 今まな板の上に乗っている聖句は黙示録3:10です。 《地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。》黙示録3:10 一般にこれが、前携挙説の根拠として挙げられているのは、「試練の時に」の「【に】(ギ語:エク)」は「~から」とも訳せるので、その時つまり試練の時に地上から挙げられて守ら

「黙示録」という書名に関する大きな間違いについて

Sub Title ー 黙示録が「面白い書」であると言える理由ー 「黙示録」という書名について 一般にもっとも名が通っているので、私も通常「黙示録」と記しますが、しかしどう考えても、ギリシャ語「アポカリプシス」を「黙示」と訳すのは、誤訳と言わざるを得ません。 長年の間に定着してしまった「黙示録」ですが、いつ頃誰が [ἀποκάλυψις] に[黙示」を当てたのかは知りませんが、本来の語の意味のまったく反対の意味の語であることに、私はどうも違和感というか、胃の腑に落ちない

「ハルマゲドン」の本当の意味を探り当てました

7年ほど前に、聖書中にただ1回使われている「ハルマゲドン」という単語について、これは、スペリングミスか、写本上の間違いの可能性があることについて記した「ハルマゲドン考察 3 ーメギドではなくシオン」 という記事をUPしましたが、今回改めて、その可能性の裏付けとまでは言えませんが、更に掘り下げて、気づいた点を取り上げてみたいと思います。 記事最下部にその過去記事のリニューアル版をnoteに挙げたものを参考資料として添付しておきます。 さて、黙示録16:16の 「ヘブライ語で

ハルマゲドン考察 1ー その戦いは行われない という聖書的な根拠

今回は「ハルマゲドン」について聖書に基づいた考察を行います。 最初にハルマゲドンに言及している黙示録16:12-16を引用しておきましょう。 ハルマゲドンに関しては、様々な解説などがあり、またいわゆる「キリスト教」や聖書について全く知らない方でも、聞いたことのない人はほとんどいないのではと言えるくらい、良く知られているようですが、聖書が実際に述べている意味で理解している人は、逆にほとんどいないのではないかと思います。 良く言われているのが、「戦争を終わらせる戦争」「世界

ハルマゲドン考察 2 一 いつどのタイミングで起こるのか?

※↓は、この記事の音声ファイルです。再生させながら、記事をお読みいただくことができます。 前回の記事で考察しましたように、ハルマゲドンの戦い自体は行われることはありません。 それで、ここで言う「ハルマゲドン」とは、王たちが、集まり、最終的に滅ぼされる出来事として、その時のについての時系列をまとめ見ることにします。 「ハルマゲドン」に関する言及は唯一、黙示16:16の一箇所だけです。 そのタイミングは、第6番目の鉢が注がれた時に生じます。 この「第6の鉢」は「第6のラ

ハルマゲドン考察3 — メギドではなくシオン

ハルマゲドン考察1 の中で「メギドに関する聖書そのものの記述を見る限り、目立って注目するほどの出来事が記述されていると言える部分があるとは思えない。 「メギド」が神との戦争という未曾有の出来事が行われる舞台として選ばれる理由と思えるものは聖書中に見いだされません。」という文章を書きました。 このシリーズ第3弾では、そもそも、この「ハルマゲドン」がメギドの山を指すという解説が本当に正しいのかという聖書的な疑問、論点について述べたいと思います。 先ず、ヨハネは「ハルマゲドン」

聖書預言の日数の「一日を一年とする」慣例の間違い

 聖書研究者たちの間で、当然のように「預言に関する日数等の計算法」として採用される、この「一日を一年とする」という表現が使われているのは、民数記14:34と、同様の表現が見られるエゼキエル4:6の二箇所です。先ず民数記の方から考慮します。 「お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。 あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは

隠されているもので知られずに済むものはない - [ 黙示 ] に関する考察

「黙示録」という単語を画像検索すると、身の毛のよだつような、あるいは気が滅入る用な画像ばかりが出てきます。本当の黙示録とこれほどのイメージのギャップのあるものは他にないでしょう。 アポカリプスは闇に光が注がれるような出来事です。 聖書の最後の書「黙示録」、この書の名称は、冒頭の1:1の単語に由来します。 「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになった